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2016.02.16 Tuesday
長いことほったらかしておいたnoteにレッスンノートのマガジンを作ってみました。やっぱりこっちの方がブログより更新は簡単だな。。
基本的には覚え書きなので、自分にしか分からないジャーゴン(専門用語)ばかりになるかもしれないけれど、何も更新しないよりはいいかなと。
基本的には覚え書きなので、自分にしか分からないジャーゴン(専門用語)ばかりになるかもしれないけれど、何も更新しないよりはいいかなと。
2016.01.06 Wednesday
パイロットにとって、家族を乗せて飛ぶフライトというのはちょっと特別だ。
運航自体はいつもと同じだし、普段と比べて特別ということはないのだが、気持ちが違う。達成感のようなものが違う。もっとも、その達成感を味わうのは飛行機を降りてからといことになる。いつもと違うメンタルやその他の条件で運航するのはスレットになるから、プランも入念に。「いつもと違う」ということを認識してハマっていたら自分でそれに気づけるように用心深く。いつもそうだけど。
この正月に念願かなって両親をニュージーランド旅行に招待することができた。金銭的、精神的にも支えてくれた両親と妻を乗せ、クライストチャーチから知る人ぞ知るコリングウッドという町に8時間のドライブの末に到着。感覚的には東京から「よし、車で青森行こうぜ!」みたいな距離だ。行きしなには6時間くらいたった後で「次回はもっと近いところに、、、」と弱音が出たが、着いてみると8時間ドライブしてもいいと思えるくらい素晴らしいところに宿を取ることが出来た。
目の前は入り江になっている静かな湾で、潮の満ち引きで桟橋に着けられている船が2メートル以上も上下していた。しかも安い。それもこれも、企画してくれた妻の御陰です。ありがとう。私はひたすらドライバーに徹していました。
今年もいい年にしよう。
運航自体はいつもと同じだし、普段と比べて特別ということはないのだが、気持ちが違う。達成感のようなものが違う。もっとも、その達成感を味わうのは飛行機を降りてからといことになる。いつもと違うメンタルやその他の条件で運航するのはスレットになるから、プランも入念に。「いつもと違う」ということを認識してハマっていたら自分でそれに気づけるように用心深く。いつもそうだけど。
この正月に念願かなって両親をニュージーランド旅行に招待することができた。金銭的、精神的にも支えてくれた両親と妻を乗せ、クライストチャーチから知る人ぞ知るコリングウッドという町に8時間のドライブの末に到着。感覚的には東京から「よし、車で青森行こうぜ!」みたいな距離だ。行きしなには6時間くらいたった後で「次回はもっと近いところに、、、」と弱音が出たが、着いてみると8時間ドライブしてもいいと思えるくらい素晴らしいところに宿を取ることが出来た。
目の前は入り江になっている静かな湾で、潮の満ち引きで桟橋に着けられている船が2メートル以上も上下していた。しかも安い。それもこれも、企画してくれた妻の御陰です。ありがとう。私はひたすらドライバーに徹していました。
今年もいい年にしよう。
2015.08.31 Monday
最近意識的にやっているのが、惰性のコントロール。
何かをしていたり、あるいは何かをしていなかったりしているときに感じる「今、これをこのまま続けたいな」という怠惰な気持ちを正確に捕捉して、気づいて、無理矢理途中でやめたり、何かを始めたりすること。これって本当に最初は辛くて、例えば好きな漫画を読んでいたりするとき。いいところで終わるようにできているからそのまま手が止まらない、のは誰にでも経験があると思うがこういうのがきたら来た!読みたい!やめる!うわ辛い!という感じ。
そうすると、フライトするときに自分の意志で決断をするときに役立つんじゃないかなと。
「自分の意志で決断する」なんて当たり前だと思うかもしれないが、何かを決める時、本当に自分の意志で100%決めていることというのは少ない。今言ったように、自分の意志で何かをやり始めたり、何かをやめるのは、その慣性を克服するエネルギーが必要で、しんどいからだ。しんどいことは、身体は無意識のうちに避けようとする。今、パソコンを見ているのは本当に、明確な理由を持ってパソコンを見ようと思って見ていただろうか。少なくとも私は惰性だった。(それにしても怠惰な性質とは上手く言ったもんだ)そしてこの話題を思いついてこの文章を書いている。出来てないじゃん、惰性コントロール。笑
ということで、ここでやめて、寝ます。
何かをしていたり、あるいは何かをしていなかったりしているときに感じる「今、これをこのまま続けたいな」という怠惰な気持ちを正確に捕捉して、気づいて、無理矢理途中でやめたり、何かを始めたりすること。これって本当に最初は辛くて、例えば好きな漫画を読んでいたりするとき。いいところで終わるようにできているからそのまま手が止まらない、のは誰にでも経験があると思うがこういうのがきたら来た!読みたい!やめる!うわ辛い!という感じ。
そうすると、フライトするときに自分の意志で決断をするときに役立つんじゃないかなと。
「自分の意志で決断する」なんて当たり前だと思うかもしれないが、何かを決める時、本当に自分の意志で100%決めていることというのは少ない。今言ったように、自分の意志で何かをやり始めたり、何かをやめるのは、その慣性を克服するエネルギーが必要で、しんどいからだ。しんどいことは、身体は無意識のうちに避けようとする。今、パソコンを見ているのは本当に、明確な理由を持ってパソコンを見ようと思って見ていただろうか。少なくとも私は惰性だった。(それにしても怠惰な性質とは上手く言ったもんだ)そしてこの話題を思いついてこの文章を書いている。出来てないじゃん、惰性コントロール。笑
ということで、ここでやめて、寝ます。
2015.08.30 Sunday
ATPLのHuman Factorという学科試験を先日終えた。学科試験は学生だけのものかと思いきや、いまだにお勉強。パイロットは一生お勉強。
私が持っているライセンスはCommercial Pilot Licence(事業用操縦士・CPL)だが、エアラインの機長として乗務する為にはもう一段階上のライセンスが必要になる。これがAirline Transport Pilot Licence(定期運送用操縦士・ATPL)だ。日本のシステムでは、副操縦士の候補生にATPLの学科を採用時に求めることはないと思うが(実際、乗務の為には直ちに必要なものではない。)ニュージーランド、特にニュージーランド航空では採用条件として”Preferable”と書かれているが実際にはほぼ必須要件になっている。実質8科目あるATPL学科の全科目合格を持っている人とそうでない人では、機長昇格のプランの立てやすさが違うからという理由かもしれない。ちょっと並べて見よう。
1 Basic Gas Turbine knowledge (BGT)
2 Meteorology
3 Human Factor
4 Law
5 Nav Aids
6 Flight Planning
7 Navigation
8 Systems
だから、みんな自腹でやらざるを得ない。悪いことに、1科目の受験料が23000円くらいする。あえてかけ算はしないけれど、インストラクターの薄給には大打撃だ。しかも、一つでも落としたらおそらくニュージーランド航空へは入れない。
学生時代も大変だったが、働きながらやる勉強って言うのはまた違った意味で大変だ。時間を勉強だけに使えないからだ。日々の生活もあるし、オペレーションもある。まとまった時間を作り出すのが難しい。今のところ3まで終わったが、毎回夏休みの宿題みたいになりながら、なんとか耐えている。今後も油断できないぞ。
うーむ、おかしいな、お金ってもっと楽しいことに使うものじゃなかったっけ。。
私が持っているライセンスはCommercial Pilot Licence(事業用操縦士・CPL)だが、エアラインの機長として乗務する為にはもう一段階上のライセンスが必要になる。これがAirline Transport Pilot Licence(定期運送用操縦士・ATPL)だ。日本のシステムでは、副操縦士の候補生にATPLの学科を採用時に求めることはないと思うが(実際、乗務の為には直ちに必要なものではない。)ニュージーランド、特にニュージーランド航空では採用条件として”Preferable”と書かれているが実際にはほぼ必須要件になっている。実質8科目あるATPL学科の全科目合格を持っている人とそうでない人では、機長昇格のプランの立てやすさが違うからという理由かもしれない。ちょっと並べて見よう。
1 Basic Gas Turbine knowledge (BGT)
2 Meteorology
3 Human Factor
4 Law
5 Nav Aids
6 Flight Planning
7 Navigation
8 Systems
だから、みんな自腹でやらざるを得ない。悪いことに、1科目の受験料が23000円くらいする。あえてかけ算はしないけれど、インストラクターの薄給には大打撃だ。しかも、一つでも落としたらおそらくニュージーランド航空へは入れない。
学生時代も大変だったが、働きながらやる勉強って言うのはまた違った意味で大変だ。時間を勉強だけに使えないからだ。日々の生活もあるし、オペレーションもある。まとまった時間を作り出すのが難しい。今のところ3まで終わったが、毎回夏休みの宿題みたいになりながら、なんとか耐えている。今後も油断できないぞ。
うーむ、おかしいな、お金ってもっと楽しいことに使うものじゃなかったっけ。。
2015.08.09 Sunday
採用された日から2年が経った。当時のブログの日付は9月だが、実際に採用されたのは8月9日。いつ採用されたかなんて忘れていたのだが、今日なぜかたまたまブログを読み返していて気づいた。偶然だ。そうか、おれは長崎の日に採用されたんだな。
PPLのころの記事から読み返して、いや、マジメにやっていたんだなーと今更ながらに思う。金銭的、時間的なプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、日本で一番のパイロットになる為にいろいろと工夫していたようだ。我ながらがんばったと思う。同時に全体が見えていないな、とも。でも、それはしょうがないことだ。プロになる前は、目の前のことにどっぷり浸かり、とにかく吸収することだ。PPL、XC、IR、CPL、C-catと大変なことばかりだったが、こうしてブログにしっかりと言語化して残してあるので、自分が新しいこと、XCやIRを教える段になったらまた見返すことになると思う。いい教材だ。フリーなので、今の学生の参考にもなればいい。
総飛行時間は1000時間を超え、PPL学生を17人送り出した。仕事をとる前は、自分に1000時間なんてタイミングが訪れることを想像することすら出来なかった。なにそれ、食べ物?という感じだ。雇われない限り、永遠にその瞬間は訪れない。だから深い深い断絶を感じていて、現実感がなかった。この最初の部分の断絶をなんとかしてジャンプしないといけない。そういう瞬間が人生には必ずあって、追い風が吹いて何もしなくてもすすむときもあれば、凪に入ってしまったり逆風が吹くこともある。そのときには自分の手でなんとかオールを使って漕いで進まなければならない。そのタイミングをしっかり見極めることだ。
だんだんと私の技倆、経験もついてきて、考えが変わったところもあるが、コアな部分は変わっていない。いい仕事をしたい。良いパイロットになりたい、とただそれだけだ。そうしてその過程で自分と関わった学生が良いパイロットになってくれればこれ以上の喜びはない。
焦らず、瞬間を生きよう。
PPLのころの記事から読み返して、いや、マジメにやっていたんだなーと今更ながらに思う。金銭的、時間的なプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、日本で一番のパイロットになる為にいろいろと工夫していたようだ。我ながらがんばったと思う。同時に全体が見えていないな、とも。でも、それはしょうがないことだ。プロになる前は、目の前のことにどっぷり浸かり、とにかく吸収することだ。PPL、XC、IR、CPL、C-catと大変なことばかりだったが、こうしてブログにしっかりと言語化して残してあるので、自分が新しいこと、XCやIRを教える段になったらまた見返すことになると思う。いい教材だ。フリーなので、今の学生の参考にもなればいい。
総飛行時間は1000時間を超え、PPL学生を17人送り出した。仕事をとる前は、自分に1000時間なんてタイミングが訪れることを想像することすら出来なかった。なにそれ、食べ物?という感じだ。雇われない限り、永遠にその瞬間は訪れない。だから深い深い断絶を感じていて、現実感がなかった。この最初の部分の断絶をなんとかしてジャンプしないといけない。そういう瞬間が人生には必ずあって、追い風が吹いて何もしなくてもすすむときもあれば、凪に入ってしまったり逆風が吹くこともある。そのときには自分の手でなんとかオールを使って漕いで進まなければならない。そのタイミングをしっかり見極めることだ。
だんだんと私の技倆、経験もついてきて、考えが変わったところもあるが、コアな部分は変わっていない。いい仕事をしたい。良いパイロットになりたい、とただそれだけだ。そうしてその過程で自分と関わった学生が良いパイロットになってくれればこれ以上の喜びはない。
焦らず、瞬間を生きよう。
2015.07.25 Saturday
最近よく山の中を飛ぶ。
Terrain and Weather Awereness TrainingといってニュージーランドのPPL、CPLの免許取得時に必ずやらなければならないトレーニングだ。その昔、「地表に近いところで飛んでいてしかも天気が悪い」というような状況で小型機の事故が多発したためだという。私がCPLを終わらせた2011年に導入されたと記憶している。フライト中の景色はこんな感じ。(以下、写真は自分のオブザーブ訓練中に後席から撮ったもの。操縦中ではありません。笑)
いつも飛んでいるエリアから少し北へ足を伸ばすとすぐにサザンアルプスに入る。日本とは反対なので、今は冬。
山の中を飛ぶなんてエアラインのパイロットには必要ないんじゃ、と思うかもしれないが、先日事故が起きた広島空港だって山の中だ。オーストラリアみたいにだーんと広い大陸が続いているところならともかく、日本やニュージーランドはもちろん、このごろ元気のいい東南アジア等山の中にライン機が降りる空港がある国も少なくない。いちパイロットとして山の恐さや注意するポイントを知っているのは、いいことだと思う。なにより景色がものすごくきれいで小型機訓練の醍醐味とも言える。こんな訓練がシラバスに入っている国も少ないのではないか。他の国のことは知らんけど。
ひょうたん型のレイク ピアソン
そんな魅力が多い山岳飛行だが、教える方にとっちゃ結構大変だ。何しろ、飛行機で山の中に入っていくんですから。一歩間違えるとたちまち山肌が迫ってくる。天気だって変わりやすい。標高が高くなれば飛行機の性能も鈍る。不時着のオプションも少ない。常に頭が2手3手先にいっていないといけない。しかも、これは学生の「Awareness」つまり山に対する「認識」を高める訓練なので、学生に飛ばせるというよりは自分で飛ばす時間が長い。その上でべらべらと2時間もしゃべり続ける。これが割と大変だ。
もちろん、操縦技倆がある分、学生に飛ばせるより自分で飛ぶ方がいい場合もあるが、実は学生に「Pilot Flying」として飛んでもらって自分は「Pilot Monitoring」としてフライトをマネージメントしていた方が、フライトの全体をつかみやすい場合も多い。エアラインにつながるキャリアの重ね方として、インストラクターをやっていることの強みの一つがこの「隣の(学生といえども)パイロットと一緒に飛行機を飛ばす」というマルチクルーの頭が出来てくること。もちろん、コクピットが本当に二人で飛ばす仕様の飛行機でやるマルチクルーとは細かい部分が違うけれど、どちらが手足になって、どちらが頭になるのかという発想のスイッチに抵抗感がなくなるのは結構大事。長くなるのでこの話はまた後日。
キャッスル・ヒル。この記事で登った岩が見える。
そんな大変な山岳飛行なので、インストラクターなら誰でも出来る訳ではない。山の中を実際に飛ぶ前段階の教習経験を十分積んで、アセスメントフライトに合格する必要がある。ちなみに前段階の訓練というのは、低空飛行訓練のことだ。
ニュージーランドでは、飛行機は離着陸時を除き原則として地表から500フィート(約150メートル)以下を飛んではいけないことになっている。でも、例えばVFRクロスカントリーで遠出して帰って来る途中、雲が急に低くなって仕方なく低く飛ばざるを得なくなることだって考えられる。そうなると、周りは見えないし、低いから地図と全然見方が違うし、雲の中には入れないし、大変なわけだ。法律下限500フィートを割っていると判断した場合(あるいはもっとその前で)VFRのパイロットはIFRに移行できない限り、緊急事態を宣言してその辺の畑に安全に飛行機を不時着させる。その方が、雲の中に突っ込んだり地表すれすれを目的地まで飛ばすより安全だからだ。
そういうときにどんなことに気をつければいいのか、500フィートを割っているかどうかの判断はパイロットの目測なので、その高度では地表がどんなふうに見えるのか(羊の足が見わけられる高さは500ftらしい。牛の足なら1000ft。ニュージーランド限定テクニック。笑)そう言うことを学ぶのが低空飛行訓練。その為にわざわざ「Low Flying Area」なんてものを川等の上にもうけて、合法的に500ft以下で訓練できる環境を作り、その限られた「空間」を山の中と見立てて地表近くを飛ばす訓練を、実際に山の中に入る前に重ねる。山岳訓練はその延長線上にあるというわけだ。
Valley Fogが残っている。山の中では地表がでこぼこしていて日射が届かない部分ができる。そこでは気温が上がらず、フォグが残る。
なんでこんなことを書いているかというと、灼熱地獄のニッポンに南半球のさわやか風を届けるためでもあるが、インストラクターになってもパイロットである以上、常に技倆の向上が必要だという当たり前のことを確認したかったからだ。
(同様にパイロットである)学生を見ていると、「上手くなる」のが上手い人と、下手な人がいる。今、上手いかどうかではなく、そこからの変化率の話だ。今下手でも、期間内に上手くなればいいわけで、これができないと特にプロパイロットになるのは難しい。プロパイロットというのは、人に金を出してもらって訓練するからだ。そこで、最近自分にとって上達が必要だったこの山岳訓練で、どうやって私はこれを自分のものにしたのだろうと思ったのだ。
山の中では飛行機の姿勢の基準となる水平線が見えづらい。雪や雲のラインを参考に姿勢を合わせたりする。
でも、長くなってしまったので次回にしよう。笑
Terrain and Weather Awereness TrainingといってニュージーランドのPPL、CPLの免許取得時に必ずやらなければならないトレーニングだ。その昔、「地表に近いところで飛んでいてしかも天気が悪い」というような状況で小型機の事故が多発したためだという。私がCPLを終わらせた2011年に導入されたと記憶している。フライト中の景色はこんな感じ。(以下、写真は自分のオブザーブ訓練中に後席から撮ったもの。操縦中ではありません。笑)
いつも飛んでいるエリアから少し北へ足を伸ばすとすぐにサザンアルプスに入る。日本とは反対なので、今は冬。
山の中を飛ぶなんてエアラインのパイロットには必要ないんじゃ、と思うかもしれないが、先日事故が起きた広島空港だって山の中だ。オーストラリアみたいにだーんと広い大陸が続いているところならともかく、日本やニュージーランドはもちろん、このごろ元気のいい東南アジア等山の中にライン機が降りる空港がある国も少なくない。いちパイロットとして山の恐さや注意するポイントを知っているのは、いいことだと思う。なにより景色がものすごくきれいで小型機訓練の醍醐味とも言える。こんな訓練がシラバスに入っている国も少ないのではないか。他の国のことは知らんけど。
ひょうたん型のレイク ピアソン
そんな魅力が多い山岳飛行だが、教える方にとっちゃ結構大変だ。何しろ、飛行機で山の中に入っていくんですから。一歩間違えるとたちまち山肌が迫ってくる。天気だって変わりやすい。標高が高くなれば飛行機の性能も鈍る。不時着のオプションも少ない。常に頭が2手3手先にいっていないといけない。しかも、これは学生の「Awareness」つまり山に対する「認識」を高める訓練なので、学生に飛ばせるというよりは自分で飛ばす時間が長い。その上でべらべらと2時間もしゃべり続ける。これが割と大変だ。
もちろん、操縦技倆がある分、学生に飛ばせるより自分で飛ぶ方がいい場合もあるが、実は学生に「Pilot Flying」として飛んでもらって自分は「Pilot Monitoring」としてフライトをマネージメントしていた方が、フライトの全体をつかみやすい場合も多い。エアラインにつながるキャリアの重ね方として、インストラクターをやっていることの強みの一つがこの「隣の(学生といえども)パイロットと一緒に飛行機を飛ばす」というマルチクルーの頭が出来てくること。もちろん、コクピットが本当に二人で飛ばす仕様の飛行機でやるマルチクルーとは細かい部分が違うけれど、どちらが手足になって、どちらが頭になるのかという発想のスイッチに抵抗感がなくなるのは結構大事。長くなるのでこの話はまた後日。
キャッスル・ヒル。この記事で登った岩が見える。
そんな大変な山岳飛行なので、インストラクターなら誰でも出来る訳ではない。山の中を実際に飛ぶ前段階の教習経験を十分積んで、アセスメントフライトに合格する必要がある。ちなみに前段階の訓練というのは、低空飛行訓練のことだ。
ニュージーランドでは、飛行機は離着陸時を除き原則として地表から500フィート(約150メートル)以下を飛んではいけないことになっている。でも、例えばVFRクロスカントリーで遠出して帰って来る途中、雲が急に低くなって仕方なく低く飛ばざるを得なくなることだって考えられる。そうなると、周りは見えないし、低いから地図と全然見方が違うし、雲の中には入れないし、大変なわけだ。法律下限500フィートを割っていると判断した場合(あるいはもっとその前で)VFRのパイロットはIFRに移行できない限り、緊急事態を宣言してその辺の畑に安全に飛行機を不時着させる。その方が、雲の中に突っ込んだり地表すれすれを目的地まで飛ばすより安全だからだ。
そういうときにどんなことに気をつければいいのか、500フィートを割っているかどうかの判断はパイロットの目測なので、その高度では地表がどんなふうに見えるのか(羊の足が見わけられる高さは500ftらしい。牛の足なら1000ft。ニュージーランド限定テクニック。笑)そう言うことを学ぶのが低空飛行訓練。その為にわざわざ「Low Flying Area」なんてものを川等の上にもうけて、合法的に500ft以下で訓練できる環境を作り、その限られた「空間」を山の中と見立てて地表近くを飛ばす訓練を、実際に山の中に入る前に重ねる。山岳訓練はその延長線上にあるというわけだ。
Valley Fogが残っている。山の中では地表がでこぼこしていて日射が届かない部分ができる。そこでは気温が上がらず、フォグが残る。
なんでこんなことを書いているかというと、灼熱地獄のニッポンに南半球のさわやか風を届けるためでもあるが、インストラクターになってもパイロットである以上、常に技倆の向上が必要だという当たり前のことを確認したかったからだ。
(同様にパイロットである)学生を見ていると、「上手くなる」のが上手い人と、下手な人がいる。今、上手いかどうかではなく、そこからの変化率の話だ。今下手でも、期間内に上手くなればいいわけで、これができないと特にプロパイロットになるのは難しい。プロパイロットというのは、人に金を出してもらって訓練するからだ。そこで、最近自分にとって上達が必要だったこの山岳訓練で、どうやって私はこれを自分のものにしたのだろうと思ったのだ。
山の中では飛行機の姿勢の基準となる水平線が見えづらい。雪や雲のラインを参考に姿勢を合わせたりする。
でも、長くなってしまったので次回にしよう。笑
2015.07.08 Wednesday
長かった。いや、短かったのか。
1000時間くらいの頃は「このままずっと陸単ピ」か、と思っていた。双発機、ましてジェットなんてものとは深い深い「断絶」があるように思えて仕方がなかった。陸上単発ピストン機の操縦が嫌いというわけではない。むしろ大好きだ。くるっと回してぴたっと止めてすーっと流し、顔をぐりぐり巡らして外を監視しまくった後にやっと、おまけのように中の計器を見たときにびた一文ずれていないときの快感といったら。乗り物を操縦する楽しさに関して軽飛行機ってやつは抜群である。こんなふうに。
いや、これは軽飛行機じゃなかった。。。
それでも、自分のキャリアというと話が違ってくる。なんでかは分からない。やっぱりでかい飛行機に乗ってみたいという素直な感情なのかもしれない。エアラインのオペレーションを経験してみたい、いつかチャンスはくるだろう、世界中でパイロットが不足しているのは間違いないのだ。今はプカプカ浮いているだけでも、そのときは絶対にくるはずだ。陸単ピだからって、呆然と飛ぶ訳には行かない。遅いと言っても時速200kmで移動する乗り物の責任者で、隣には大切なお客さんを乗せているのである。そう思った矢先、日本からは景気のいい話が飛び込んでくる。同期や後輩が数百時間でジェットへの就職を決めていく。仲間の努力と根性と金銭的負担が報われたことに対する安堵の反面、誘導抵抗のように発生する焦燥感。
「で、俺のはいつだ。」
いかんいかん、そうやって考えてはいかん。そうやって考えることは、いつか来るチャンスをものにするために役立たないばかりか、有害ですらある。「そのとき」になってやる気を出しても遅いからだ。やる気は目標が具体的になってからなら容易く発生するが、それでいいなら誰も苦労はしない。それでは遅いのだ。「そのとき」が具体化していない状態、つまりやる気が容易く発生しないときに目の前のことに集中し、今出来る小さなことを積み重ねておかなければならない。それだけが、大きな目標を達成する唯一の方法だ。当然のように聞こえるが、知っての通りこれは大変難しい。日常の些細なこと、寝るのか、勉強するのか。飯を食うのか、風呂に入るのか。パソコンに向かうのか、さっさと寝るのか。朝起きてから夜寝るまでの「選択」を全て意識的に行った。「あれをやらなくちゃ」と考えるのではなく、「これをやらないようにしよう」と考えてきた。
昔学生だったころ、近くをタキシングするボーイングをみて「でもいつかあそこの窓から、こっち側を見る日が来るのかな。そのときはどんな気持ちでこの文章を読むのかな。」と書いたことがあった。それから4年以上が経った。紆余曲折を経て、毎日、バーベキューの燃え残りの炭のような気持ちに再点火をしながら、いや正確には、火なんて付くはずがないけれども、絶対に生煮えの肉は出さないようになんとか余熱で耐えてきた。
そうしてやっと「そのとき」を迎え、「あちら側の窓」に移ることができた。自分自身を注意深くコントロールしてきた結果、この結果がある。あこがれの窓からの景色は、ただの仕事場からの景色だった。ここからが勝負だ。
・・・と、あと1年後、遅くとも2年後までに、この記事を書ける状況になるようにしよう。
1000時間くらいの頃は「このままずっと陸単ピ」か、と思っていた。双発機、ましてジェットなんてものとは深い深い「断絶」があるように思えて仕方がなかった。陸上単発ピストン機の操縦が嫌いというわけではない。むしろ大好きだ。くるっと回してぴたっと止めてすーっと流し、顔をぐりぐり巡らして外を監視しまくった後にやっと、おまけのように中の計器を見たときにびた一文ずれていないときの快感といったら。乗り物を操縦する楽しさに関して軽飛行機ってやつは抜群である。こんなふうに。
See the ShrinersFest Air Show from our perspective.
Posted by Evansville Courier & Press on 2015年6月26日
いや、これは軽飛行機じゃなかった。。。
それでも、自分のキャリアというと話が違ってくる。なんでかは分からない。やっぱりでかい飛行機に乗ってみたいという素直な感情なのかもしれない。エアラインのオペレーションを経験してみたい、いつかチャンスはくるだろう、世界中でパイロットが不足しているのは間違いないのだ。今はプカプカ浮いているだけでも、そのときは絶対にくるはずだ。陸単ピだからって、呆然と飛ぶ訳には行かない。遅いと言っても時速200kmで移動する乗り物の責任者で、隣には大切なお客さんを乗せているのである。そう思った矢先、日本からは景気のいい話が飛び込んでくる。同期や後輩が数百時間でジェットへの就職を決めていく。仲間の努力と根性と金銭的負担が報われたことに対する安堵の反面、誘導抵抗のように発生する焦燥感。
「で、俺のはいつだ。」
いかんいかん、そうやって考えてはいかん。そうやって考えることは、いつか来るチャンスをものにするために役立たないばかりか、有害ですらある。「そのとき」になってやる気を出しても遅いからだ。やる気は目標が具体的になってからなら容易く発生するが、それでいいなら誰も苦労はしない。それでは遅いのだ。「そのとき」が具体化していない状態、つまりやる気が容易く発生しないときに目の前のことに集中し、今出来る小さなことを積み重ねておかなければならない。それだけが、大きな目標を達成する唯一の方法だ。当然のように聞こえるが、知っての通りこれは大変難しい。日常の些細なこと、寝るのか、勉強するのか。飯を食うのか、風呂に入るのか。パソコンに向かうのか、さっさと寝るのか。朝起きてから夜寝るまでの「選択」を全て意識的に行った。「あれをやらなくちゃ」と考えるのではなく、「これをやらないようにしよう」と考えてきた。
昔学生だったころ、近くをタキシングするボーイングをみて「でもいつかあそこの窓から、こっち側を見る日が来るのかな。そのときはどんな気持ちでこの文章を読むのかな。」と書いたことがあった。それから4年以上が経った。紆余曲折を経て、毎日、バーベキューの燃え残りの炭のような気持ちに再点火をしながら、いや正確には、火なんて付くはずがないけれども、絶対に生煮えの肉は出さないようになんとか余熱で耐えてきた。
そうしてやっと「そのとき」を迎え、「あちら側の窓」に移ることができた。自分自身を注意深くコントロールしてきた結果、この結果がある。あこがれの窓からの景色は、ただの仕事場からの景色だった。ここからが勝負だ。
・・・と、あと1年後、遅くとも2年後までに、この記事を書ける状況になるようにしよう。
2015.04.15 Wednesday
新居に引っ越して1週間。入居前にプロフェッショナルによる掃除がなされることになっていたカーペット。入居当日には落ち葉が散乱していた。なんだ、クリーニングするって言ってたけど忘れてやがったな、とクリーニングを待っていたが、信じられないことにこれが「プロフェッショナル」の品質らしい。
入居して4日で詰まった風呂の配水管。まずはパイプつまりを取る薬剤とプランジャーでズコズコしろとのエージェントの回答。自費で購入して試すも効果無し。翌日にきた「プロフェッショナル」の配管工がやったのは、パイプつまりを取る薬剤とプランジャーでズコズコすること。曰く、
「全然だめだね、かなり強力なつまりだ」
うん、知っているよ。だから君を呼んだんだよ。
本当に、この国のプロフェッショナルのレベルにはがっかりする。国民性なのだろうか。私だったら、客に満足してもらえなかったら職人の一人として我慢ならない。。。
と、今書いていて気づいたが、私はとんでもない勘違いをしていた。彼らは、「職人」ではない。「プロフェッショナル」だ。今までずっと誤解してきた。「プロフェッショナル」=「職人」と思っていた。
「プロフェッショナル」というのは、あらかじめ責任の範囲が決まっていて、その枠組みの中でベストを尽くす人達。つまり、契約で仕事をしている。結果が出なかったら「その枠組みの外のことは責任範囲外なんで。」と言える。お客が不満足でも、気にしないし、自分の「プライベート」に仕事が影響するなんてことは考えられないし、そうあるべきではないと思っている。
対して「職人」というのは、制度上はどうあれ本人の気持ちとして仕事のクオリティに無限責任を負っている。つまり、プライドで仕事をしている。お客や同僚に「あいつの仕事は三流だ」と言われることが何より我慢ならないので、場合によっては私生活を犠牲にして仕事に取り組むことがある。日本が自殺大国なのもひょっとしたらこれが原因なんじゃないだろうか。
どちらがいいという話ではない。これでやっと今まで評価されてこなかった理由がわかった。評価軸がずれてんだから当たり前だ。私は間違いなく「職人」だ。「プロフェッショナル」になれたら楽だろうなと想像するし、パイロットはもしかしたらそうあるべきかもしれない。あんまり思い詰めたら危ないし。
もっと肩の力を抜いていきましょうってまぁよく言われますよ。でもしょうがねぇだろう、職人なんだからってんだべらぼうめ。
入居して4日で詰まった風呂の配水管。まずはパイプつまりを取る薬剤とプランジャーでズコズコしろとのエージェントの回答。自費で購入して試すも効果無し。翌日にきた「プロフェッショナル」の配管工がやったのは、パイプつまりを取る薬剤とプランジャーでズコズコすること。曰く、
「全然だめだね、かなり強力なつまりだ」
うん、知っているよ。だから君を呼んだんだよ。
本当に、この国のプロフェッショナルのレベルにはがっかりする。国民性なのだろうか。私だったら、客に満足してもらえなかったら職人の一人として我慢ならない。。。
と、今書いていて気づいたが、私はとんでもない勘違いをしていた。彼らは、「職人」ではない。「プロフェッショナル」だ。今までずっと誤解してきた。「プロフェッショナル」=「職人」と思っていた。
「プロフェッショナル」というのは、あらかじめ責任の範囲が決まっていて、その枠組みの中でベストを尽くす人達。つまり、契約で仕事をしている。結果が出なかったら「その枠組みの外のことは責任範囲外なんで。」と言える。お客が不満足でも、気にしないし、自分の「プライベート」に仕事が影響するなんてことは考えられないし、そうあるべきではないと思っている。
対して「職人」というのは、制度上はどうあれ本人の気持ちとして仕事のクオリティに無限責任を負っている。つまり、プライドで仕事をしている。お客や同僚に「あいつの仕事は三流だ」と言われることが何より我慢ならないので、場合によっては私生活を犠牲にして仕事に取り組むことがある。日本が自殺大国なのもひょっとしたらこれが原因なんじゃないだろうか。
どちらがいいという話ではない。これでやっと今まで評価されてこなかった理由がわかった。評価軸がずれてんだから当たり前だ。私は間違いなく「職人」だ。「プロフェッショナル」になれたら楽だろうなと想像するし、パイロットはもしかしたらそうあるべきかもしれない。あんまり思い詰めたら危ないし。
もっと肩の力を抜いていきましょうってまぁよく言われますよ。でもしょうがねぇだろう、職人なんだからってんだべらぼうめ。
2015.03.07 Saturday
先日あるパイロットの方とお会いしていろいろと勉強になったので久々に書いてみることにした。
その方とは何かと共通点があって、まず同い年で、日本で同じ学校に通っていたことがあり、飛行機バカ失礼、飛ぶことが大好きである、というような点だ。様々な経験の持ち主で、エアロバティックやビーチランディング、マウンテンフライングに離島への輸送業務などを経てエアラインに入った。
かなりの苦労もされたようで、仕事がなくてニュージーランドを車で立て続けに3往復したり、ビル掃除のバイトをしながら食いつないだり、一度はもうパイロットでは食べていけないと決めてビジネスを始めたこともあるようだ。実際にはビジネスを立ち上げたところである航空会社から声がかかってパイロットを続けられたのだが、話を聞いていると自分がいかに「温室育ち」かと痛感した。
何が違うって、その行動への瞬発力だ。
オークランドに到着してその場で中古車を3000ドル(当時で20万円弱くらいか)で購入し、そこから車を運転してニュージーランド中のGA会社(小さな飛行機を運航している会社。日本では使用事業という。)に履歴書を配って回るとか、ある会社でパートタイムのパイロットとして働いているときに仕事ないから自分でエアロバティック用の飛行機を持ってきて今で言う「社内ベンチャー」みたいな形で自分の飛び口を確保しようとか、パイロットがだめでもレンタル事業を初めてなんとか生きていこうとか、とにかく「なんとかする」という、基本的なサバイバル能力が非常に高い。ある航空会社では、今までいろいろな運航を経験してきて、さらに自分で自分の事業を起こしたという「マネジメント業務」に対する経験を買われて、飛行時間が比較的少なめ(1000時間程度)の新人の、しかも外国人だったにもかかわらず、チーフパイロットに抜擢されそうになったという。
翻って現在の私の状態。私もそれなりに苦労はしているが、海外での就職に際してはものすごく運が良かった方だ。すでにフルタイムだし、学生もたくさん持っている。こうなると、自分でも薄々気づいているのは、考え方が保守的になってくることだ。症状としては、学校や所属組織への不平不満、思い通りに行かないことに対するいらだち、そのくせ現実には専ら「出来ない理由」をこじつけて何ら解決のためのをアクションを起こすことをしない、というようなことだ。
たしかに、運の良さというのもこの世界では決定的に重要だ。この方も、大抜擢の裏にはその権限を持ったチーフパイロットに気に入られていたということがあるし、日本への一時帰国を終えた数日後に航空会社から電話がかかってきたこともある。もし帰国中に掛かってきていたら、今頃パイロットとしてやってはいなかったかもしれないという。だからそんなに努力をしていなくてもポコっと仕事があったりする「ラッキー」は往々にしてあるし、それがないとどうしても突破できない壁というのは厳然と存在する。正規の手続きをとったから、たくさん努力したから、必ずしも自動的に仕事があるわけではない。
それでも、どんなに高待遇になっても、立ち止まったらそこで終わりな気がする。いつひっくり返るかわからないこの業界。環境の変化に適応することでしか生き残ることはできないのだから、短期的な痛みを忌避しようとする現状維持バイアスをぶち破って「自分の売り」を再構築し続けなければならんのだろう、
運に縁 青い芝生は 自分持ち
いい刺激になりました、これからもよろしくお願いします。
その方とは何かと共通点があって、まず同い年で、日本で同じ学校に通っていたことがあり、
かなりの苦労もされたようで、仕事がなくてニュージーランドを車で立て続けに3往復したり、ビル掃除のバイトをしながら食いつないだり、一度はもうパイロットでは食べていけないと決めてビジネスを始めたこともあるようだ。実際にはビジネスを立ち上げたところである航空会社から声がかかってパイロットを続けられたのだが、話を聞いていると自分がいかに「温室育ち」かと痛感した。
何が違うって、その行動への瞬発力だ。
オークランドに到着してその場で中古車を3000ドル(当時で20万円弱くらいか)で購入し、そこから車を運転してニュージーランド中のGA会社(小さな飛行機を運航している会社。日本では使用事業という。)に履歴書を配って回るとか、ある会社でパートタイムのパイロットとして働いているときに仕事ないから自分でエアロバティック用の飛行機を持ってきて今で言う「社内ベンチャー」みたいな形で自分の飛び口を確保しようとか、パイロットがだめでもレンタル事業を初めてなんとか生きていこうとか、とにかく「なんとかする」という、基本的なサバイバル能力が非常に高い。ある航空会社では、今までいろいろな運航を経験してきて、さらに自分で自分の事業を起こしたという「マネジメント業務」に対する経験を買われて、飛行時間が比較的少なめ(1000時間程度)の新人の、しかも外国人だったにもかかわらず、チーフパイロットに抜擢されそうになったという。
翻って現在の私の状態。私もそれなりに苦労はしているが、海外での就職に際してはものすごく運が良かった方だ。すでにフルタイムだし、学生もたくさん持っている。こうなると、自分でも薄々気づいているのは、考え方が保守的になってくることだ。症状としては、学校や所属組織への不平不満、思い通りに行かないことに対するいらだち、そのくせ現実には専ら「出来ない理由」をこじつけて何ら解決のためのをアクションを起こすことをしない、というようなことだ。
たしかに、運の良さというのもこの世界では決定的に重要だ。この方も、大抜擢の裏にはその権限を持ったチーフパイロットに気に入られていたということがあるし、日本への一時帰国を終えた数日後に航空会社から電話がかかってきたこともある。もし帰国中に掛かってきていたら、今頃パイロットとしてやってはいなかったかもしれないという。だからそんなに努力をしていなくてもポコっと仕事があったりする「ラッキー」は往々にしてあるし、それがないとどうしても突破できない壁というのは厳然と存在する。正規の手続きをとったから、たくさん努力したから、必ずしも自動的に仕事があるわけではない。
それでも、どんなに高待遇になっても、立ち止まったらそこで終わりな気がする。いつひっくり返るかわからないこの業界。環境の変化に適応することでしか生き残ることはできないのだから、短期的な痛みを忌避しようとする現状維持バイアスをぶち破って「自分の売り」を再構築し続けなければならんのだろう、
運に縁 青い芝生は 自分持ち
いい刺激になりました、これからもよろしくお願いします。
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