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2018.05.04 Friday
みなさんこんにちは。1年半近くほったらかしていて今更ですが、ひっそりと書いてみたいと思います。コメントをほったらかしにしていてすみません。
先日、某エアラインのパイロット採用試験があり、無事に合格することができた。5年近くニュージーランドでインストラクターとしてやって来て、数えきれない困難に直面し、何度もパイロットを諦めるしかないのか自問自答を繰り返して来た。なんとかこの先も飛び職として次のステップに進めること、何より自分の大切な家族、友人たちにいい報告ができたことが非常に嬉しく、誇らしく感じている。
一つ前の記事にある試験は別の航空会社を受けた時のもので、つまり、その結果はダメだったわけだが、結果を聞いた次の瞬間からファーストエイド講習を予約したり、ATPLと呼ばれる定期便の機長に必要ライセンスの学科試験(7科目で試験1回2万円くらいする。)を完了したり、ICAOの航空英語証明でLevel 6をとったりと、雑草魂を拠り所にしてゴールの見えないマラソンを続けて来た。「ゴールの見えないマラソン」などと言う美しい表現は、結果が出ているからできるのであって、「マラソン」の只中にあってはそんなことは恐ろしくてとても口にできない。
実際、2回目のエアライン挑戦である今回(本格的な選考に進めなかったところを含めると10回は下らないが、、)の結果を知らせる電話が午後の3時半過ぎに鳴るその瞬間まで「ここまでやっても結果が出ないなら、これ以上モチベーションを維持するのはもう無理かも知れない」と雑草魂が根を上げはじめていた。結果発表はこの日、と確実に知らされていたので、その日は朝からずっと携帯電話を握りしめていた。午前中に鳴らなかった時点で、考えないようにしていたシナリオが徐々に現実として感じられるようになって来た。
「朝から電話で知らせているなら、午前中に鳴っているはずだ。まだ鳴らないとことは、不合格として選り分けられた方に入ってしまったと言うことなんだろう。」
そういう想像が徐々に現実味を増してくるのを感じるのは、恐ろしかった。落ちたって、死ぬわけじゃない。もう一度頑張ればいい、と言うけれど、その後の人生が一つの小さなミスで台無しになるプレッシャーを感じながらシミュレーターや面接に臨むエアラインの試験というのは、精神的に本当に疲弊するのだ。当日はもちろん、準備期間や選考結果を待つ間も、精神的に追い込まれてクタクタになる。徹底的に自分に向き合い、それを人にわかる形で説明し、いいところも悪いところも全て直視してベストを尽くして尽くして尽くし切っても、たった一つのミスで簡単に落ちてしまう。
加えて、現在の仕事で行き詰まっていたことも雑草魂を捻り潰すのに十分な重さを持っていた。このブログの更新頻度が少なくなったのも、正直そこに原因があった。自分の成長や飛行士としての純粋な興味、探究心を表現する意欲が、仕事がうまくいかないことでほとんど萎えてしまった。気がつけば、死んだ魚のような顔で毎日職場に憂鬱な気持ちで出かけるサラリーマンになってしまっていた。いかにも弱っちいが、それが事実だ。
ところが、蓋を開けてみれば今まで自分がしてきた経験の全てが、良し悪しを問わず今回の合格を下支えする要因になったのだった。
1回目の反省から、ジェット旅客機のコクピットを忠実に再現したパソコンのシミュレータではなく、OSがWindows 98でフロッピーディスクが付いているパソコンで動く学校のシミュレーターを時間外に利用して練習をした。パソコンではコクピットの表示は再現されているが、画面が小さいのでスキャニングの練習ができないし、目と手の動きの連動の練習にならない。大事なのは試験での雰囲気、シナリオを再現すること、その上でパフォーマンスを発揮する練習をすることだった。IFRのインストラクターになったことも、計器飛行に習熟するのに非常に役に立った。前述の通り、ATPLを全て終わらせて知識を強化し、当日のテクニカル試験の高評価に繋げた。
また、今回は多くの人に協力を求めた。先に同じエアラインに合格した同期に試験内容をシムで再現してもらい、私の師匠のそのまた師匠にはILSを見てもらった。面接に向けて有料のコンサルティングを受け、友人の美容師に気合いの入った頭にしてもらい、これまた友人の按摩師に体を整えてもらった。妻と一緒にかっちょいいネクタイを選び、試験会場の近くに滞在したB&Bのホストにあたたかいもてなしを受け、U-barの運転手にパイロットになるための試験を受けてるんだと話かけた。日本にいる家族を思い、友人を思い、それら全ての人たちに良い報告をしたいとその一心で試験に参加した。
2日間に渡った試験当日では、合間合間で他の参加者たちと、いかに自分のシムの出来が悪かったか、などと自虐的な話で大笑いし、ユーモアのストレスに対する効能に改めて気づいた。うまくできたはずだ、いや、でもあんなところでミスをした、いやいや、それでも全体的にはうまくまとめた、と思考は巡る。評価基準がわからないのでどうしようもない。それでも引きつった笑いでなんとか精神を保って、試験を終え、帰りの飛行機に乗りこんだ。離陸滑走に入った飛行機から、今回受けた会社の飛行機の尾翼が見える。俺は、あそこにいけるのか、それともついに届かないのか。
合格発表の日、鳴らない電話を握りしめて不安げにうろうろしている私をみて、声をかけづらいのか、同僚もあまり近寄ってこない。昼をすぎた時点で前述のように半ば諦めていたのと、良い知らせを入れてあげられていないので、人一倍心配症の妻のメンタルが保つかも心配だった。ため息が80回ほどついて出たころ、見覚えのある担当者の名前が、振動する私のiPhoneの画面に浮かび上がった。何が起きてもへのへのカッパだと口に出してから電話に出ると、開口一番 Good News for you! と言われてその瞬間に地球の自転速度が上がったような気がした。担当者の彼女になんどもお礼を言って(決めたのは彼女ではないので適切かはわからないが、とにかくそうするしかなかった)電話を切り、素早く画面をタップして、妻が出た瞬間にパスパスパスパスとトップ下にボールを要求するフォワードのような口調で合格を伝えた。妻は泣いて喜んでくれた。半ば諦めていたので、信じられない思いだった。
実感が湧いてきたのは家に帰ってお祝いの外食をしている時だった。ニコニコしている妻の顔を見て、本当に諦めないでよかったと思った。師匠には「最初の仕事も大変だけど、エアラインへのジャンプも同じくらい大変だ」と言われたことがあったが、本当に大変だった。この5年間自分の弱点を指摘され続け、常に自信を挫かれる環境にいたが、自信を取り戻した気分だった。
これは間違いなく、大きなジャンプだ。だが、ここからが勝負だ、油断は禁物。これまで通り、足元を見定めていこう。
先日、某エアラインのパイロット採用試験があり、無事に合格することができた。5年近くニュージーランドでインストラクターとしてやって来て、数えきれない困難に直面し、何度もパイロットを諦めるしかないのか自問自答を繰り返して来た。なんとかこの先も飛び職として次のステップに進めること、何より自分の大切な家族、友人たちにいい報告ができたことが非常に嬉しく、誇らしく感じている。
一つ前の記事にある試験は別の航空会社を受けた時のもので、つまり、その結果はダメだったわけだが、結果を聞いた次の瞬間からファーストエイド講習を予約したり、ATPLと呼ばれる定期便の機長に必要ライセンスの学科試験(7科目で試験1回2万円くらいする。)を完了したり、ICAOの航空英語証明でLevel 6をとったりと、雑草魂を拠り所にしてゴールの見えないマラソンを続けて来た。「ゴールの見えないマラソン」などと言う美しい表現は、結果が出ているからできるのであって、「マラソン」の只中にあってはそんなことは恐ろしくてとても口にできない。
実際、2回目のエアライン挑戦である今回(本格的な選考に進めなかったところを含めると10回は下らないが、、)の結果を知らせる電話が午後の3時半過ぎに鳴るその瞬間まで「ここまでやっても結果が出ないなら、これ以上モチベーションを維持するのはもう無理かも知れない」と雑草魂が根を上げはじめていた。結果発表はこの日、と確実に知らされていたので、その日は朝からずっと携帯電話を握りしめていた。午前中に鳴らなかった時点で、考えないようにしていたシナリオが徐々に現実として感じられるようになって来た。
「朝から電話で知らせているなら、午前中に鳴っているはずだ。まだ鳴らないとことは、不合格として選り分けられた方に入ってしまったと言うことなんだろう。」
そういう想像が徐々に現実味を増してくるのを感じるのは、恐ろしかった。落ちたって、死ぬわけじゃない。もう一度頑張ればいい、と言うけれど、その後の人生が一つの小さなミスで台無しになるプレッシャーを感じながらシミュレーターや面接に臨むエアラインの試験というのは、精神的に本当に疲弊するのだ。当日はもちろん、準備期間や選考結果を待つ間も、精神的に追い込まれてクタクタになる。徹底的に自分に向き合い、それを人にわかる形で説明し、いいところも悪いところも全て直視してベストを尽くして尽くして尽くし切っても、たった一つのミスで簡単に落ちてしまう。
加えて、現在の仕事で行き詰まっていたことも雑草魂を捻り潰すのに十分な重さを持っていた。このブログの更新頻度が少なくなったのも、正直そこに原因があった。自分の成長や飛行士としての純粋な興味、探究心を表現する意欲が、仕事がうまくいかないことでほとんど萎えてしまった。気がつけば、死んだ魚のような顔で毎日職場に憂鬱な気持ちで出かけるサラリーマンになってしまっていた。いかにも弱っちいが、それが事実だ。
ところが、蓋を開けてみれば今まで自分がしてきた経験の全てが、良し悪しを問わず今回の合格を下支えする要因になったのだった。
1回目の反省から、ジェット旅客機のコクピットを忠実に再現したパソコンのシミュレータではなく、OSがWindows 98でフロッピーディスクが付いているパソコンで動く学校のシミュレーターを時間外に利用して練習をした。パソコンではコクピットの表示は再現されているが、画面が小さいのでスキャニングの練習ができないし、目と手の動きの連動の練習にならない。大事なのは試験での雰囲気、シナリオを再現すること、その上でパフォーマンスを発揮する練習をすることだった。IFRのインストラクターになったことも、計器飛行に習熟するのに非常に役に立った。前述の通り、ATPLを全て終わらせて知識を強化し、当日のテクニカル試験の高評価に繋げた。
また、今回は多くの人に協力を求めた。先に同じエアラインに合格した同期に試験内容をシムで再現してもらい、私の師匠のそのまた師匠にはILSを見てもらった。面接に向けて有料のコンサルティングを受け、友人の美容師に気合いの入った頭にしてもらい、これまた友人の按摩師に体を整えてもらった。妻と一緒にかっちょいいネクタイを選び、試験会場の近くに滞在したB&Bのホストにあたたかいもてなしを受け、U-barの運転手にパイロットになるための試験を受けてるんだと話かけた。日本にいる家族を思い、友人を思い、それら全ての人たちに良い報告をしたいとその一心で試験に参加した。
2日間に渡った試験当日では、合間合間で他の参加者たちと、いかに自分のシムの出来が悪かったか、などと自虐的な話で大笑いし、ユーモアのストレスに対する効能に改めて気づいた。うまくできたはずだ、いや、でもあんなところでミスをした、いやいや、それでも全体的にはうまくまとめた、と思考は巡る。評価基準がわからないのでどうしようもない。それでも引きつった笑いでなんとか精神を保って、試験を終え、帰りの飛行機に乗りこんだ。離陸滑走に入った飛行機から、今回受けた会社の飛行機の尾翼が見える。俺は、あそこにいけるのか、それともついに届かないのか。
合格発表の日、鳴らない電話を握りしめて不安げにうろうろしている私をみて、声をかけづらいのか、同僚もあまり近寄ってこない。昼をすぎた時点で前述のように半ば諦めていたのと、良い知らせを入れてあげられていないので、人一倍心配症の妻のメンタルが保つかも心配だった。ため息が80回ほどついて出たころ、見覚えのある担当者の名前が、振動する私のiPhoneの画面に浮かび上がった。何が起きてもへのへのカッパだと口に出してから電話に出ると、開口一番 Good News for you! と言われてその瞬間に地球の自転速度が上がったような気がした。担当者の彼女になんどもお礼を言って(決めたのは彼女ではないので適切かはわからないが、とにかくそうするしかなかった)電話を切り、素早く画面をタップして、妻が出た瞬間にパスパスパスパスとトップ下にボールを要求するフォワードのような口調で合格を伝えた。妻は泣いて喜んでくれた。半ば諦めていたので、信じられない思いだった。
実感が湧いてきたのは家に帰ってお祝いの外食をしている時だった。ニコニコしている妻の顔を見て、本当に諦めないでよかったと思った。師匠には「最初の仕事も大変だけど、エアラインへのジャンプも同じくらい大変だ」と言われたことがあったが、本当に大変だった。この5年間自分の弱点を指摘され続け、常に自信を挫かれる環境にいたが、自信を取り戻した気分だった。
これは間違いなく、大きなジャンプだ。だが、ここからが勝負だ、油断は禁物。これまで通り、足元を見定めていこう。
2016.09.15 Thursday
スーツ姿になった自分を久々に見た。
インストラクターの制服も一応ネクタイはするし、ちゃんとシャツにアイロンをかけ、靴は磨く。ただ、その上に着るものが問題だ。
北海道と同じくらいの緯度(南緯だけど)にある場所で、エアコンなしの飛行機のコクピットで働くには、シャツ姿ではきつい。ジャケットを着ることになるのだが、学校が支給する機能性を重視したという触れ込みの割には防寒性能が乏しいブルゾンに、一時帰国した時にAOKIのセールで買った黒いズボン(紺色だけどかなり私のは黒に近い)、黒と灰色のネックウォーマーに黒い毛の半指手袋(通勤からスマホの操作、プリフライトから寒いコクピットも一役でこなす万能手袋。拾った。)、東京靴流通センターで買った5000円くらいの防水ビジネスシューズ(冬の草地でのプリフライトは、朝露でビチャビチャになって、ン万もする革靴はすぐにダメになってしまう)と、携帯電話とノイズキャセリングヘッドセットのスペアバッテリーを入れるデジカメ用のホルスターを身につけ、空港の制限区域を歩くのに必要なハイビズベストをつけるととてもパイロットには見えない。そもそも学校の連中からしてパイロットというより「野郎ども」という呼称の方がしっくりくる気がするから仕方がない。
なんの話だったっけ。
面接でスーツを着た話だった。
空港から面接が行われる会場へは、タクシーを使った。バスでも行けたが、坂道が入り組んでいる上にあるビルで、迷ったり、遅れたりはもちろん、試験前に余計な頭を使いたくなかった。一階がカフェになっている。ガラスのエントランスドアに写る自分の姿を見て、不思議な気分になったのだった。最初のメールをもらってからおよそ二ヶ月弱。最初は詐欺かと思っていたが、本当に来てしまった。一次面接はHRの担当者との面接、テクニカルな知識の筆記テスト、パーソナリティテスト、そしてAbsolute reasoningと呼ばれる知能テストだ。
インターネットにはいろいろとこのエアラインに関する情報が落ちている。有料で過去問を売っているようなウェブサイトがあって、なんでもビジネスになるんですね、と思いながらすぐにクリックして購入した。数十ドルの出費で未来が左右されるなら迷わず買いだ。できることはなんでもせねば。
数日前には師匠の家に泊めてもらい、いろいろとアドバイスを求めた。のちに、このことが試験の行方を左右することになるのだが。。。
続く
インストラクターの制服も一応ネクタイはするし、ちゃんとシャツにアイロンをかけ、靴は磨く。ただ、その上に着るものが問題だ。
北海道と同じくらいの緯度(南緯だけど)にある場所で、エアコンなしの飛行機のコクピットで働くには、シャツ姿ではきつい。ジャケットを着ることになるのだが、学校が支給する機能性を重視したという触れ込みの割には防寒性能が乏しいブルゾンに、一時帰国した時にAOKIのセールで買った黒いズボン(紺色だけどかなり私のは黒に近い)、黒と灰色のネックウォーマーに黒い毛の半指手袋(通勤からスマホの操作、プリフライトから寒いコクピットも一役でこなす万能手袋。拾った。)、東京靴流通センターで買った5000円くらいの防水ビジネスシューズ(冬の草地でのプリフライトは、朝露でビチャビチャになって、ン万もする革靴はすぐにダメになってしまう)と、携帯電話とノイズキャセリングヘッドセットのスペアバッテリーを入れるデジカメ用のホルスターを身につけ、空港の制限区域を歩くのに必要なハイビズベストをつけるととてもパイロットには見えない。そもそも学校の連中からしてパイロットというより「野郎ども」という呼称の方がしっくりくる気がするから仕方がない。
なんの話だったっけ。
面接でスーツを着た話だった。
空港から面接が行われる会場へは、タクシーを使った。バスでも行けたが、坂道が入り組んでいる上にあるビルで、迷ったり、遅れたりはもちろん、試験前に余計な頭を使いたくなかった。一階がカフェになっている。ガラスのエントランスドアに写る自分の姿を見て、不思議な気分になったのだった。最初のメールをもらってからおよそ二ヶ月弱。最初は詐欺かと思っていたが、本当に来てしまった。一次面接はHRの担当者との面接、テクニカルな知識の筆記テスト、パーソナリティテスト、そしてAbsolute reasoningと呼ばれる知能テストだ。
インターネットにはいろいろとこのエアラインに関する情報が落ちている。有料で過去問を売っているようなウェブサイトがあって、なんでもビジネスになるんですね、と思いながらすぐにクリックして購入した。数十ドルの出費で未来が左右されるなら迷わず買いだ。できることはなんでもせねば。
数日前には師匠の家に泊めてもらい、いろいろとアドバイスを求めた。のちに、このことが試験の行方を左右することになるのだが。。。
続く
2016.08.30 Tuesday
パイロットの仕事に応募するときは、だいたい会社のWeb サイトで募集を知り、CVをEmailで送るか、実際に出向くかすることもあるが、大きなエアラインでは専用のリクルートページを持っていて、そこに色々な詳細情報を入れて、声がかかるのをじっと待つ、というところもある。今回の会社もそういうところで、その昔宝くじを買う勢いで詳細を入れてあった。もう忘れかけていたが、突然そこからこんな風にメールが来るとは。もしかしたら、志望動機を英語のチューターと練りながら時間をかけて書いたのが良かったのかも。
まぁでも世界中のパイロットに採用をかけているのだろうから、実際に呼ばれるのはかなり先になるんだろうな、とほとんど全く期待をしなかった。いや、期待をしないように気をつけていた。ウカレポンチにならないように。。。
と思ったら、5日後に別の人から返事が来た。面接に招待するからさらにいくつか情報を送ってくれ、とある。まじか、まじなのか、詐欺じゃないのか、と思いながらもやはりすぐに返事をする。参考として添付されているパイロットのベネフィットを見ると、今インストラクターとして働いているのがアホらしくなってしまうほどの待遇だ。(まぁ最低賃金で働いているのでどのような条件でもキラキラして見えるのだろうが)なんだこれは。本当に詐欺じゃないのか。
その日のうちに、面接日の飛行機を予約した。
まぁでも世界中のパイロットに採用をかけているのだろうから、実際に呼ばれるのはかなり先になるんだろうな、とほとんど全く期待をしなかった。いや、期待をしないように気をつけていた。ウカレポンチにならないように。。。
と思ったら、5日後に別の人から返事が来た。面接に招待するからさらにいくつか情報を送ってくれ、とある。まじか、まじなのか、詐欺じゃないのか、と思いながらもやはりすぐに返事をする。参考として添付されているパイロットのベネフィットを見ると、今インストラクターとして働いているのがアホらしくなってしまうほどの待遇だ。(まぁ最低賃金で働いているのでどのような条件でもキラキラして見えるのだろうが)なんだこれは。本当に詐欺じゃないのか。
その日のうちに、面接日の飛行機を予約した。
2016.08.24 Wednesday
その変なEmailが届いたのは、2015年の11月のことだった。
「あなたの飛行経験が本国の切り替え要件に達しているかを見るために、以下のフォームに記入の上ご返信願います。」
なんだこれ。妙な迷惑メールだな。なんで俺がパイロットだって知っているんだろうか。だまそうったってそうはいかねぇぞとうすら笑いを浮かべてメールを最後までスクロールすると、ある有名エアラインのロゴがある。いやー、よくできた迷惑メールだな、ほらこれ見てよと妻に見せに行く。
「これってエアラインからの面接招待なんじゃないの?」
。。。いやーまさかそんな節操な話があるかね。IF timeもないというのに。いやー、まさかね。まさかまさか。と言いながら食い入るように文面を読む。添付の書類にフライトタイムの詳細を記入して送れとある。気がつくと、何回も見直ししたアプリケーションを丁寧な英語書いたEmailに添付して送っていた。
「こんなのみーんなに送っているよね。宝くじみたいなもんだからね。」
不自然な笑いを浮かべてぬか喜びを警戒した。
「あなたの飛行経験が本国の切り替え要件に達しているかを見るために、以下のフォームに記入の上ご返信願います。」
なんだこれ。妙な迷惑メールだな。なんで俺がパイロットだって知っているんだろうか。だまそうったってそうはいかねぇぞとうすら笑いを浮かべてメールを最後までスクロールすると、ある有名エアラインのロゴがある。いやー、よくできた迷惑メールだな、ほらこれ見てよと妻に見せに行く。
「これってエアラインからの面接招待なんじゃないの?」
。。。いやーまさかそんな節操な話があるかね。IF timeもないというのに。いやー、まさかね。まさかまさか。と言いながら食い入るように文面を読む。添付の書類にフライトタイムの詳細を記入して送れとある。気がつくと、何回も見直ししたアプリケーションを丁寧な英語書いたEmailに添付して送っていた。
「こんなのみーんなに送っているよね。宝くじみたいなもんだからね。」
不自然な笑いを浮かべてぬか喜びを警戒した。
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