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     2023.10.29 Sunday

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     2009.05.30 Saturday
自分の顔は、当たり前だが直接見ることは出来ない。鏡を通して見られるだけだ。写真やビデオに撮って見ることは可能だが、厳密には直接見ていることにはならない。リアルタイムではないからだ。だから、自分が他人と話をしているとき、どんな顔でいるかを知っている人は少ないはずだ。

話している最中の自分の顔を知る手立てがあるとしたら?

こんなことがあった。話題は忘れたが、ある人と話をしていて、その人は自分にとって楽しかったというエピソードを話していた。横並びに座っていて話を聞き、話の終盤になるほどーというタイミングで顔をあわせたとたん、満面の笑みで話をしていたその人の表情が凍りつき、真顔に戻ってしまった。

多分、自分の顔がそういう顔だったのだろう。

経験的に、目の前にいる相手の表情が、今の自分の表情と考えて間違いない。先日もまた、とある人と向き合って話をしている最中に、自分の表情(口角や目の開き具合)を意図的に変えてみたら、その人の顔が、同じように動いたのである!! おかげではなしの内容はさっぱりだったが、相手の表情を参考に、良い表情を作ることは有効かもしれない。

まぁ、話し始めに良い顔と声を届ける(=挨拶)のが大前提だけど。


     2009.05.28 Thursday
どうすればいつでも冷静に目の前の現実と向き合えるのか。冷静ではないときとはどんなときのことをさすのだろう。

ひとつの答えとして、「感情的になったときは、冷静でない」といえないだろうか。パイロットは、冷静さを失ってはいけない職業の筆頭だ。そういう職業を目指している自分がどんなとき、感情的になるのか。どういうときに、パニックに陥るのか。

・・・実際にやってみた。

仕事中に、(しかもかなり注意の要る作業中に)わざと周りの人と話しながらやってみたり。(いつもの「話しかけるなオーラ」は封印。)
嫌いな人にこちらから話しかけていったり。(なぜいつも否定から入るのだろうこの人は。)
前回書いた報告書を直されたり。(カチンとくるコメントがある。)
どれもこれも、普段なら出来ればやらないで避けてきたことだ。

わかったことは、自分がパニックになったり、感情的になっているなと気づいたとき、それはもはや
パニックや感情的な状態ではないということだ。

きっと自分はパニクるぞ、という前提でことに臨むと、意外と冷静でいられる。

     2009.05.24 Sunday
MR.BRAINというドラマをみた。

木村拓哉演じる脳科学者が警察の犯罪捜査に協力して事件が解決していくという物語だ。ストーリーはなんとなく先が読めちゃうような気がしたが、予定したカタルシスがやってくるので見ていて楽しい。微細な手がかりがすべて一本の線で結ばれていく過程も楽しい。細かいセリフも結構含蓄があるなと思ったところもある。「科学的な証拠はその人が犯人だということは教えても、なぜその証拠がそこに残っていたのかということは教えてくれない」・・・確かに。。。

ところで、番組中に二つの正面からみた人物の写真をみせて、「どちらが男性でどちらが女性だと思いますか」というクイズがあった。顔の中心のみが写っていて、髪の毛などは写真の枠の外なので、そういう観点からは判断は出来ない。ネタばらしをすると、顔の良く似た男女の写真を正中線に沿って半分に切り分け、男の左半分と女の右半分をくっつける。もう片方も同様に。そうして出来た二つの顔写真を左右に並べて被験者に見せた場合、大部分の人は、向かって左側にくっつけた顔半分を主な判断材料にして、男女を答えるらしい。なぜならば、直感的に性別を判断するとき、人は右脳を使って判断するのだが、その右脳が支配しているのが、左側の視界だからだそうだ。好きな人には左側の視界に入るようにすると、自分の男らしさや女らしさをより効果的にアピールできる、見たいな話だったが、私は、ドラマでの写真は正解と逆に思えてしまった。私には参考にならないのかも。orz


ところで最近、ドラマを見る観点が変化してきているなと思った。

ひとつは、役者の、過去の作品を通した共通した味を見るということ。
木村拓哉が主演するドラマは結構好きだ。大体、主人公が周りにないオリジナルな視点を持っていて、それが意外と正論なので、破天荒に見えた行いが筋が通ったものに見えてくる。共通しているのは、「今、ここ」を徹底的に大切にして、実際にそのために行動するということだ。その動機はひとつで、それは「知りたい」という好奇心である。hiroとかまさにそうですね。

もうひとつは、役ではなく、役者に感情移入するということ。
ドラマの中では凄みのある悪役や、突飛な行動をとる変態紙一重の主人公がいるわけだが、以前はそういう「役」そのものに共感して、良いキャラクターがいるとこんな風に生きれたらいいなーと思うことが多かった。だが、そういう奇抜な役どころを演じられる人というのは、「カット」がかかったらものすごい普通の、礼儀正しい人間になるんだろうなと、今は想像する。そうじゃなければ、役のエキセントリックさをコントロールできないはずだ。自分のニュートラルな状態を知っているからこそ、そこからどれくらい離れればアウトローな印象になるか、表現できるということだから。

演技に多面性があるのは、自分を客観視できている=コントロールできている、という点で、魅力的だ。役そのものに感情移入するのも楽しいが、そういう表現ができる役者そのものに共感するのも楽しい。

     2009.05.07 Thursday
久々の更新である。

最近家計簿を買った。

ちょっと変わった家計簿で、レシートを貼るだけで記録が完了する、というものだ。ページを開くと、金額の目盛りがついたバーが並んでいる。買い物でもらったレシートを、その金額分だけ目盛りに沿って下から貼り重ねていくと、その月の合計額がレシートの棒グラフになって一望できるというものだ。

ちょっとやってみたら、今月はすでに赤字であった。。。まぁ、GWもあったし、使っちまったもんは仕方ない。まずい、と実感することが大事だ。と言い聞かせてみる。


支出が可視化されると、生きるとは消費することだと今更ながらに思い知る。
同時に、ひとりの人間が生きるために、それほど多くの金は必要ではない、とも気づく。

生きるためではなく、社会や環境に貢献することにのみ、何千万、何億という単位の金を運用する意義がある。仕事や事業でその効果を最大化できる人間にのみ、大金を扱う資格があるのだろう。

我々は消費者、生産者の両方を面持って生きているわけだが、金が欲しいと感じたときに、自分がどちらの立場にいるのか常に確認したほうが良いのかもしれない。




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2010パイロット訓練
2013インストラクター
2018エアライン

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