2009.06.29 Monday
同僚の気に入らないところを、その人がいないところで、複数人で言い合う、ということにどうしてもなじめない。「あんにゃろう、同じグループのなかでこっちが忙しいのわかっているくせに手伝いもしねーでさっさと帰りやがった」とか、そういうたわいもない話から始まり、残念ながら、ワタクシの働く職場ではそういう話題が豊富だ。
ある人がどんな考えでしゃべり、どんな行動をとり、どんな風に働くかということは、完全にその人の自由だ、というのが、基本的なワタクシのスタンスだ。変えて欲しいことがあれば、その人に直接伝えるべきだ。「何回もいってんだよ・・・」とぼやく人もいるが、それは伝える側が悪い。伝わったかどうかを確認するところまでが、伝え手の責任だからだ。
他人が、自分の思い通りに動くことなど基本的にあるはずがない。自分は、コントロールされてたまるかと思っているくせに、人にそれを求め(しかも無言で!!)結果が予想外だと憤慨するという思考過程は理解不能である。どーしてそんな風に思うのだろう。ものすごく不思議だ。人は、自分と違って当たり前じゃないか。
・・・てことはまてよ、人の陰口をたたく人が影口をたたこうと、それはそれでその人の自由だし、やめて欲しいならそう直接言うべきだということか。。。難しいな。
ある人がどんな考えでしゃべり、どんな行動をとり、どんな風に働くかということは、完全にその人の自由だ、というのが、基本的なワタクシのスタンスだ。変えて欲しいことがあれば、その人に直接伝えるべきだ。「何回もいってんだよ・・・」とぼやく人もいるが、それは伝える側が悪い。伝わったかどうかを確認するところまでが、伝え手の責任だからだ。
他人が、自分の思い通りに動くことなど基本的にあるはずがない。自分は、コントロールされてたまるかと思っているくせに、人にそれを求め(しかも無言で!!)結果が予想外だと憤慨するという思考過程は理解不能である。どーしてそんな風に思うのだろう。ものすごく不思議だ。人は、自分と違って当たり前じゃないか。
・・・てことはまてよ、人の陰口をたたく人が影口をたたこうと、それはそれでその人の自由だし、やめて欲しいならそう直接言うべきだということか。。。難しいな。
2009.06.28 Sunday
興味があるものに関しては、「行動」するのにほとんど抵抗がないワタクシ。考えるよりもまず動く。思い立ったが吉日。案ずるより産むが易し。道場で転がったり自転車で転んだりバイクで飛んだりボールを蹴ったり。。。
ところが、意外にも仕事ではひとつのものに熱中する傾向があることがわかった。仕事が「開発」であるからなのか、ある事象を解決するために、その因果関係を突き詰めるまでやらないと気がすまない。
「気がすまない」という語彙はちょっと違う。感情的にすっきりしないから突き詰めてしまうのではなく、突き詰めなければ意味がないと思ってしまう。だって、改善点をどういう理屈で良くしてきたのか、因果関係を特定していなければ、説明ができない。前の製品と今回の製品の進化を説明できないということは、何も「開発」していないということになるではないか。
ひとりの人間のなかから、時と場所によってこうも逆さまな性格が出入りするのは面白い。
ところが、意外にも仕事ではひとつのものに熱中する傾向があることがわかった。仕事が「開発」であるからなのか、ある事象を解決するために、その因果関係を突き詰めるまでやらないと気がすまない。
「気がすまない」という語彙はちょっと違う。感情的にすっきりしないから突き詰めてしまうのではなく、突き詰めなければ意味がないと思ってしまう。だって、改善点をどういう理屈で良くしてきたのか、因果関係を特定していなければ、説明ができない。前の製品と今回の製品の進化を説明できないということは、何も「開発」していないということになるではないか。
ひとりの人間のなかから、時と場所によってこうも逆さまな性格が出入りするのは面白い。
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