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     2023.10.29 Sunday

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     2011.11.26 Saturday
最近、訓練校の見学にいった。大阪にある学校だ。NZの学校の先輩も訓練している。お話できるのが楽しみだった。



もちろん往復ともに満席の夜行バス。行きはジーンズで乗ってしまい、体が締め付けられてものすごくつらかった。耐え切れずにパーキングエリアでジャージに着替えた。楽な服装だったら、そんなに悪くはない。



ずいぶん朝早くついてしまったが、しかたがない。徒歩で飛行場に向かう。学校はあいてなさそうだ、案内図にあった訪問者広場、と書いてあった場所に行ったら、そこは駐車場に併設された草むらだった。そこでうろうろしながら飛行機来ないかなーと待っていたのだが、定期便のない飛行場だ、くるわけがない。駐車場にはこの辺り一体の航空関連業者に勤める人たちが続々と車を乗り入れてくる。さぞ、不審者に見られたことだろう。

約束の時間になって受付に行くと、担当の方がきれいな個室に通してくれた。対応がものすごく丁寧だ。茶がうまい。飛行時間などのプロフィールをいくつか渡された用紙に記入していると、顧問の方が入ってきた。元教官で、この学校で一番偉い人のようだ。その方からなぜパイロットになりたいのか、などといった点について軽く質問を受ける。私が質問するばかりかと思っていたが、半分くらいは自分が答えていた。多分、プロとしてやっていく心の準備がどんなもんか見ていたのだと思う。

そうして施設案内。職員室のような雰囲気のディスパッチルームやハンガーなどを見学した。


離陸後、直下に市街地。その先には切り立った山がある。けっこうえげつないな。。。サーキットも右回りのようだ。


そうして先輩にお会いし、いろいろなお話を聞く。お金の段取りから訓練の進度状況など。日本のフライトテストは、試験の予約を90日前だかにやらなければならないらしく、スケジュールの調整にまったく融通が利かないらしい。最も苦労しているのは、口述試験(オーラル)の範囲が広く、深く(笑)なので、最初の勉強方を間違えると後で苦労するという点だ。


ここは最近の私の問題意識とすごくフィットしている。日々の訓練が「テスト対策」になってしまうことは、どうしても避けなければならない。例えば、試験官が聞いてくるであろう問題にヤマを張って、それを機械的に暗記したりとかフライトテストで行く確率の高いルートを想定してそれを身体で覚えてしまおう、とかそういう態度だ。1時間で諭吉サンが5枚とか10枚飛んでいくのだ。あまりにももったいないではないか。

このような態度を邪道とするなら、では正攻法はどんな態度だろうか。それは、全てを網羅的に勉強し、結果的にその過程にあるテストに合格できる、という状況だ。テストがあるから勉強ではなく、一生続く勉強の中でたまたまテストがあって、気が付いたら合格しているというのが理想。ただし、網羅的に勉強するというのは実は、難しい。網羅的というのは、1から100まで全て覚えているということだが、難しいという理由のひとつは、単純に全部覚えるのには時間がかかるからだ。日々のオペレーションに追われて勉強する時間なんかない。


ハンガーは広い、機体数はNZと比べて少ないが、ピカピカに整備されている。


もうひとつの理由は、実際に上で使えるように頭の中で体系付けておかなければならないという点だ。教科書に並んでいる通りに順繰りに暗記しても、せいぜいペーパーテストで100点を取ることくらいしかできない。テストで良い点をとることは、重要だ。だが、知識は頭のなかで有機的、横断的なつながりをもち、自分が空中に浮かんでいる短いあいだに応用できなければならぬ。つまり、教科書の離れたページにある知識の関係性を理解していなければならないということだ。


飛べばわかるのに、とよく思う。


飛んでしまえば、自分が飛行機に乗り込んで、離陸して巡航に移り、降下を開始して着陸するまでにどんなことが起こり、どんな法律がそこに適用されるのか、実際の流れに即して理解することができる。教科書の離れたページにある知識が、つながり始める。想像力ではなく、経験が理解を助けるからだ。日本の学校に入る訓練生は、みんなもう海外でパイロットになってきた者ばかりだろうから、経験はあるだろう。その経験をもってすれば、日本の学科試験の勉強で理解ができないということは考えにくい。ただ、これを使える知識にまで引き上げられるかどうかは、それぞれの裁量になる。


風はそんなにない。訓練でもあんまり無理しないらしい。


私が今想像する一番良い勉強方法は、ブレーンストーミングだ。一人で勉強すると、教科書に書いてある順番どおりに勉強するしかないから、離れた章に書いてあることがつながりにくい。でも、知識に有機的な関連付けをしないと、使える知識にはならない。何人かで集まって、ひとつのテーマにいろいろな角度から突っ込みを入れながらぐだぐだと議論するのが、一番良い方法かもしれない。


学校選びで最も重要なのは、その学校の就職内定率ではなく、飛行機についてグダグダと議論できる同期とめぐり合えるかだったりして。














     2011.11.23 Wednesday
さて、スッカラカンで帰国し、実家でうまい飯を食い、古い友人と酒を飲んで、住民票登録して、健康保険証をもらい、所得がなくても健康保険料が月13000円だという事実に衝撃を受けた後、ふと我に返る。


さて、これからどうすんべかな。。。


【とりあえずラフプラン】

できるだけ早く働き始める。

 貯金

行く学校を決める。

 貯金

親類からの借金可能額・教育ローンの借り入れ限度額を知る。

 貯金

行く学校の学費−借り入れ=貯金目標額を決める。

 貯金

貯まるまで働く。


よし。これでいこう!(所要5秒。笑)


【NZフラッシュバック!】CHCH上空。Russley で空中待機。

さて、インターネットで仕事を探すと、登録制の派遣社員としての募集が多いことに気づく。正社員として働くと、年収は良いのだが今の私の状況にはそぐわないかもしれない。私にはパイロットという第一目標がはっきり見えているからだ。日本の会社は、初めから第二希望です!と豪語する人間を正社員として雇おうとはしないと思った。それでも重用されるほどのスキルは残念ながら身につけていない。

派遣社員向けの仕事をぶらぶら見ていると、たまたま自宅のすぐ近くにCADオペレータで時給の良いところがあった。都心から離れているのにこの時給は珍しい。交通費もかからなければ、貯金もしやすいだろうし、住宅費も浮く。ただし、建築用の図面だという。私の経験は自動車部品なので、どこまで応用が利くかはわからないが、とりあえず応募してみよう。

というわけで、帰国後2日でエントリー。私はこの会社の登録会というものに参加する必要があるようだ。その後、この仕事が紹介できるか面談を行うという。なるほど、そういうシステムなのね。週明けの月曜日に予約を入れて、面談にいくことになった。

当日、駅で電車を待つ。スーツなんか着ちゃって実に白々しい。電車の窓に映る自分を見ていると、4日前までNZにいたことが信じられなくなってくる。えーと、アレは夢だったのか??笑


4日前。


現在。

最寄り駅でおりて、住所を頼りに歩く。電柱に大字が書いてあるのでそこを目指して番地を探して、、、あれ、行き過ぎた??それにしても、日本の道というのは歩きづらい上にわかりづらい。NZの場合はストリート名と家番というシンプルな組み合わせで、そのストリートを地図見つけることができれば初めて行く道でも迷うことはない。そのストリートに入って、家の番号を追っていけば必ず見つかる。カーナビなんかいらない。歩道も必ず付いているので、路側帯を歩いて電柱を避けた拍子に10トントラックの粉塵を浴びることもない。

同じ道をうろうろうろ。おかしいな、この辺のはずなんだがな。そういえば昔はiPhoneでGPSを使っていたっけ、などと徐々に当時のカンを取り戻して、やっと暗い白い3階建てのビルを見つける。ここだ。あぁ、そうだった、日本では目の前の困難を、徹底的な対処療法で克服するんだった。道がぐしゃぐしゃなら、道を直そうとするのではなく地図をハイテクにして対応するとか、スーツの夏が暑苦しかったら、スーツを脱ぐのではなくハイテク下着で対抗するとか、そういうふうに。


【NZフラッシュバック!】NZCH Grass 20への着陸 by Kuniさん。

面接には私を含めて4人いらっしゃった。いずれも20代半ばから30代の半ばくらいだと思う。男女比率は2:2。クラッシックコンサートの開演前みたいに、誰もお互いに会話をしようしない、独特の雰囲気がある。企業紹介と、派遣社員として働く際の契約上の注意事項を説明したDVDを見せられて、書類に記入し、面接。

後でわかったのだが、この派遣会社は、主に軽作業の紹介を得意としていた。工場内で物を運んだり、混ぜたり、色を塗ったり、ピッキングといって言われたものを棚から取り出して発送する仕事だったり、つまり「軽めの」ガテン系といった趣だ。私の見た製図の仕事は、この会社ではかなり珍しい部類に入るようで、面接の結果も建築の図面を読める即戦力が欲しいとのことでNG。そうして今のところ紹介できる仕事は、食品加工会社で小麦粉の袋を担いで運ぶ仕事か、鶏肉をパッキングする仕事のどちらかだという。うーむ、小麦粉と、鶏か。。。。。

帰りの道中、私は危機感を感じていた。私の経歴は右往左往していて落ち着きがない。工学部を中退しているので、まず学歴で堂々と理系をうたえない。数年後、就業したあとに放送大学で大卒の資格を得た。楽しかった。だが、興味のある科目を手当たり次第に取ったので、何科を卒業したのか不明である。試しに挙げてみると、デザイン工学・計算力学・建築意匠論・ビジネスファイナンス・消費者と証券投資・総合英語A・分子生物学・管理会計・仏教の思想・動物の行動と生態・企業統治と企業倫理・社会階層と不平等・都市と防災・人工物と設計・がんの健康科学・・・

まったく統一性がない。因みに卒業証書には「教養学部卒」と書いてある。HAHA


夜景。1000フィートぐらいかな。

英語ができるといっても、通訳・翻訳の実務経験があるわけではない。機械の設計業務は設計試作・製図・量産立ち上げなど一通りのことをこなしたが、こういう仕事は派遣ではかなり少ない。第二希望でできる仕事ではないことは、私自身が知っている。なにしろ、第一希望がパイロットなのだ。

だからといって、工場の中で小麦粉を運ぶ仕事を選択してしまって良いのか、たとえ時給が良くても(良くなかったけど)それは戦略上正しい選択といえるのか。例えば、国内の訓練を終えて、すぐに募集に応募できれば良いが、募集時期というのはこちらでコントロールできるものではない。もしかしたら半年あくかもしれない。もしかしたら、1年間募集がないかもしれない。そういった場合に、私が今までやってきたことを全部使っても、小麦粉を運んだり鶏肉をパックに詰め込んだりする仕事が最適解となるのだろうか。

派遣会社の殺伐とした空気は、私に重要な信号を送ってきたような気がする。二刀流とまでは言わないが、脇差だってナマクラでいいわけではないだろう。自分の得物である以上、吟味して決めるべきだ。
     2011.11.20 Sunday

チャンギでのトランジットは3時間あまり。横になれるシート席で少し休んだので、そんなに疲れていない。チャンギ−羽田(SQ636)便はA330-300!乗ってきた777に比べると、少し狭く、目劣り、、、

シンガポール航空の制服を着たCAの方が、こんばんは、と挨拶をしてきた。完璧な発音なので、日本人だろう。とっさに答えようとするが、こんばんは、と日本語で挨拶をされるのが久しぶりだったので、うまく答えられなかった。まるでコンビニの店員にいらっしゃいませ、といわれたときのように反応してしまった。こんばんは、という返事が前歯の裏でせき止められて、単体でかじった海苔みたいに張り付いてしまった。さっき777に乗っていたときまでは、目を見て笑顔で自然に挨拶を返すことができた。日本では、サービス「される側」の人間が笑顔で挨拶を返すという場面は珍しい。まわりが急速に日本になっていっている、と思った。でも本当は、私が日本モードに戻ってしまったのだ。


左下のミルクはシンガポール航空のロゴのものに変わっていた。NZ産の食料は、この機材には積まれていないのだろう。ワインや水など冷たいものは冷たく、メインはちゃんと加熱してある。料理に熱のメリハリがあると、それだけでおいしく感じる。

私の隣の席にいたおじさんも日本人のようだった。だがもう隣にはいない。離陸前に日本人のCAさんが、席が空いているのでシートベルトサインが消えた後はどこかあいている席に座って良いと言ったためだ。よくみると、確かに空席が目立つ。そして、白人の数が少なくなり、東洋人の顔が増えた。みんな日本人なのだろうか。

前席の背もたれ背面には小さなモニタースクリーンが付いていて、映画などの娯楽を楽しめるようになっている。777の中で観たのは、動物実験用のチンパンジーがどんどん知能を増して最終的には仲間のチンパンジーやピグニーチンパンジーやオランウータンやローランドゴリラの大群を従えて人間に復讐する、という内容の映画だった。映画は Action, Drama, Traditional, Europe, Asia などという細目に分かれていて、サルの映画はActionに分類されていた。ニューヨークにある有名な名前を持つ橋の上から、発砲してくるヘリコプターにジャンプして飛び移ったゴリラがヘリを橋に激突させるシーンは、確かにアクションだった。

座席の肘掛側面に埋め込まれた着脱式のリモコンを使って、メニューの下層まで降りていくと、映画の説明とともにサムネイルが表示され、その映画の簡単なストーリーを見ることができる。前の席の人が、近未来の戦闘機らしき乗り物を題材にした映画を見ていて、それを探したがどうしても見つからない。リモコンのボタンを押した瞬間と、画面がその信号に反応して実際に切り替わるまでの間に生理的な許容範囲ギリギリのタイムラグがある。時々そのタイムラグを読みきれずにボタンを押してしまい、サムネイルで映画を紹介していた画面が意図せず初期状態に戻ってしまうことがある。そういう映画は、観る気が失せてしまう。


777のときと同じように、白ワインのメニューにはシャルドネとしか書いていなかった。ということは、同じワインが出てくるのかもしれない。ワインは現地調達ではないようだ。そもそもフランス産だった。目の前の画面の中では、痩せた中年のホテルマンが映っている。これから自宅に友人を呼んでディナーパーティを開くらしい。家の中にはもう一人男がいる。オーストラリアに留学している娘の友達だ、といって突然家を訪ねてきた男だ。ホテルマンは彼を簡単に信用して家の中へ招き入れ、実は自分が招き入れたこの男は、事故を起こした護送車から脱走した連続殺人犯だということを、ラジオの放送で知らされているところだった。ホテルマンもワインを持っている。ただし、そのワインは白ではなく、赤ワインだ。

ワインを飲んでいるからなのか、それとも飲み足りないからなのかわからないが体がうまく座席になじまず、ゆっくりと休めない。機内は消灯しているので、モニタースクリーンの中が異様に明るく見える。さっき前の席で近未来の戦闘機を題材にした映画を観ていた人は、今は体が緑色になって空を飛ぶヒーローの映画を観ているようだ。そんなに時間は経っていないように思う。同じ映画かもしれない。ほかの席でも何人かはまだ映画を観ているようだ。モニタースクリーンの青白い明かりは顔の前面だけを照らすので、細長くなった顔の表情だけが浮いているように見える。顔は、石のように硬直していてピクリともしない。視界の端っこのほうで顔が動いたような気がしてそちらに視線を向けるが、そのときにはどの顔も動いていない。

ふと、反対側の窓の外の景色が目に入った。何か、小さな黒い点が、雨のようにどんどん後ろに流れていく。巨大なゴマせんべいの上を飛んでいるように見えた。次第にゴマ粒が大きくなっていって、それがゴマ粒ではなくまばらに生えている木であることがわかった。まっすぐ伸びている杉に似た針葉樹林だ、エンジンの音が変わって、誰かがエンジン故障だと言ったのが聞こえた。

双発機は片方のエンジンが止まっても問題なく飛び続けることができる。ただし、片方のエンジンが止まると、ヨーイングといって機首が止まったエンジンの方に振れてしまう。推力のバランスが崩れてしまうためだ。ちょうど腕を横に一杯に拡げて走っているとき、地面に固定されたポールに左の腕を思い切りぶつけたようなイメージだ。だからエンジンが止まったとき、パイロットがまずやらなければいけないのは生きているエンジン側のラダーペダルを踏みつけて、このヨーイングを止めることだ。私もMEIRの訓練でラダーペダルをふみつけまくり、革靴の底に穴が開いてしまった。だが、この機のパイロットは、よほど高級な革靴を履いているのか十分な量のラダーを当てているとは思えなかった。飛行機がどんどん傾いていっているからだ。

ラダーの当てが十分でないと、飛行機は機首を左右どちらかに向け続けようとする。左右の揚力のバランスが崩れ、すぐにロールが始まる。そして飛行機が背面になるまでヨーイングとロールを続け、飛行機は螺旋を描きながら急速に高度を失っていく。スパイラルダイブだ。窓から見える針葉樹樹林の角度が変わってきた。上に覆いかぶさるように落ちていっているのだ。パイロットは何をやっているんだと思った。とげのような葉のひとつひとつが見えるようだった。このままの姿勢で落ちたら、絶対に助からないだろうなと身体に力を入れた瞬間に、客室に明かりがついた。通路をゆっくりと歩いてきたCAさんがお絞りを差し出してきた。これから着陸態勢に入るというアナウンスがあり、夜行バスのパーキング休憩のような雰囲気になった。飛行機は水平を保ちながら、緩降下している。少なくとも、スパイラルダイブはしていない。なんだ、夢か。よかったよかった。



羽田に。懐かしい尻尾である。



スパイラルダイブしなくて良かったね。


羽田もなんだか、、、


様変わりしたね。


当たり前のように屋上に行って


柵越しに飛行機を見る。そういえば、チャンギには屋上展望台がなかったな。


ここで観ると、777が普通の大きさの飛行機に見える。



モノレール見ながらサンドイッチ。円使ったの久々だ!



さて帰ろう。
     2011.11.15 Tuesday
今回も写真ラッシュで行きます。

腹減った!昼飯だ!!グリーンカレーうまい。


さすがフルサービス、食後にアイスが出る。カチンカチンに凍っていた。くるときのジェットスターでは、アイスはおろか、予約していなかったので飯は何も出なかった。そのときは、空腹に耐える、という何の工夫もない方法で乗り切りました。


一緒に出されたワインがすごくおいしかったので、銘柄を聞いてみたら「シャルドネ」だと。いや、シャルドネって葡萄の種類じゃなかったっけ??シャルドネワインはNZのスーパーにもいっぱいあったよな。。。などというのは面倒くさいので一言、"Could i take a photo of the label, please??"で、後で調べると。

"Les Tannes" (レ タンヌ)だって。安くてうまいワインらしい。でもフランス産。確かに、なんか飲んだ瞬間とその後しばらくと、飲み込んだ後で全然違う香りと味が。。。NZのワインはそんな面倒くさいことはしない。甘いか、辛いか。(としか私には感じられなかった。)うまかった。安いということで、今度買ってみよう。


30000ftで450ktかー。。。いやー酔っ払うぜー。でも外でたら一発で酔い覚めそうだな。-51℃て。


2時間後くらいに、ビールくれる??と言ったらつまみがついてきた。そういえば、最初のビールにもナッツがついてきたっけ。ちゃんとアテを出してくるんだ。それにしても、飲み物ってどのくらいの頻度で頼んでいいものか。。。


インドネシア上空。ITCZ(InterTropical Convergence Zone)だからかな、雲が多い。対流圏界面に届いているのかな、でも高度11kmということは、ちょうど自分が対流圏界面付近(熱帯だともう少し高いかもしれんし。)にいるということだから、ぶつぶつ、、、


「ハイ、夕食デース!」豚肉!やっぱあのワインうめぇ。よく見ると、コーヒー用のミルクはMeadow Fleshだ。食料は現地調達(NZ)なんだなー。当たり前か。


だいぶ降りたな。


アジアのハブ、シンガポールチャンギ空港! アプローチ中は写真取れないのであっという間に着陸。


気温32℃。ボーディングブリッジが蒸し暑い。夕焼けはきれい。


A380だ!!


無料のインターネットコーナーも。5分経つとブラウザがリセットされる。家にメールしとこう。


こんなリラックスシートもある。エコノミーは横になれないのでものすごく助かる。トランジットまで3時間。しばし休憩。


お茶が飲みたい、緑茶が良い、ということで買った。ふたを開けて、飲んでみる。次の瞬間吐き出しそうになる。甘い!!ガムシロップ10杯は入れただろ!というくらい甘い。しまった、こっちではこれが普通か。よく見ると、ラベルにもジャスミン茶と書いてある。ちきしょー。


ターミナル中央部。色々な店が沢山あるが、買いたいものは見つからない。物欲0。


下から。そろそろ出発ゲートへ。

異国でひとりぼっちというのは、そこが安全な国ならそんなに悪くない。皆、私のことを知らない。誰も、私が何語をしゃべるかなんてわからない。私は、英語を使う。チェックインカウンターでもターミナルの案内所でも両替のクラークとも、英語でしゃべる。彼らは、私のことをしらない。礼儀正しくしていさえすれば、誰とでも話をすることができる。そのことに、なんとなく開放感を感じる。



違う売店でやっと「緑茶」を発見!!今度こそまちがいない、なにしろ、Pokka、日本製だ!!やっと緑茶にありつけたぞ、ははは、さて。。。



、、、甘い。




アホか!と叫んでカンをその辺にぶん投げたくなった。あぁでも、やっぱりよく見ると、ジャスミン茶と書いてある。orz どこまで際限のないアホなのだろうか、私は。などと孤独に絶望していると、前からロビーの幅の半分を埋め尽くすほどの集団が、こちらに近づいてくるのが見えた。皆笑顔を浮かべ、なにやらべらべらとしゃべりあっている。聞き覚えのある発音。日本語だ。

修学旅行生だろう、男女別に3-4人のグループをつくり、皆楽しそうだ。だが、奇妙なことに誰一人としてふらっと「ひとりで」そのへんの店に立ち寄る者はいない。かといって、ルービックキューブのように密着しているわけではない。彼らはちょうど、屋台のスーパーボールすくいのプールの中にいるようだ。ふわふわと付きつ離れつだが全体としては明らかに同じ方向に動いている。さっきの私の気分を作った雰囲気とは、あまりに正反対な光景だったので、どうして彼らがあんなに楽しそうにしているのかわからなかった。



ゲートに着いた。搭乗!!
     2011.11.13 Sunday
少し報告が遅くなってしまったが、私の海外免許取得訓練は10月29日に終了した。その後10日間ほどニュージーランドに滞在し、クニさんとコストシェアでアクロバットの練習に乗せてもらい、怠惰な日々を送り、帰国前日に腹の調子が怪しくなり、当日にかけて大変なことになり、フライトを延期して10日に帰国した。

今後は日本の書き換え訓練に向けて行動することになる。学校を見学し、仕事を見つけてお金をため、PPLの免許を書き換え、余裕があったら気象予報士に再度チャレンジしたい。訓練が始まってからは、経験上フライトテストに向けた訓練がどうしても主体になってしまうだろうから、これをその後につながる訓練にするためには今のこのつなぎの時期がものすごく重要だと思う。訓練が始まる前までに自分のやりたいこと、やるべきことを整理して、訓練が始まったと同時にトップスピードでスタートラインを通過できるように十分な助走をしておきたい。

訓練終了後のことや、今回までに書ききれなかったニュージーランドの話を気が向いたときに書いていこうと思う。とりあえず今回は、日本に帰ったときの記録をしておこう。写真多数。



使用した航空会社はシンガポール航空。いつもクライストチャーチをお昼の11時55分に飛んでいくSQ298便の777に乗ってシンガポールのチャンギ空港まで行く。そこから乗り換えて、日本まで。値段は1000ドルほど。6万円くらいか。こちらに来たときはジェットスターだったが、たしか合計で5万円くらいだった。選ぶ日によるが、片道チケットはシンガポールが一番安いらしい。フルサービスの航空会社がほぼ同じ値段で乗れるということで即決した。CPLフライトテストが遅れたのと、私の腹がエマージェンシーを宣言していた関係で2度フライトを延期したが、帰りの便をジェットスターにしていたら、チケット代がまるまる無駄になっていたところだ。その点シンガポール航空は、手数料35ドルのみで変更可能、チケット料金は変わらなかった。座席にあまりがあったのでラッキーだったとも言える。



帰国当日。あんまり人がいない。。。

当日は日本人同期のほか、数人が見送りにきてくれた。空港で働いているkiwiの同期にも会ったりして、なかなか楽しかった。チェックインでは預け入れ荷物が20.9kgと表示されていた(上限は20kg以内)が、何も言われず印刷したボーディングパスにスタンプを押される。手荷物は友達に預けておいた。あけろとか言われると面倒なのでね。11時になり、ぼちぼち移動。ゲートをくぐって向こう側へ。皆さんさようならと挨拶して手をぶんぶん振りながらくぐろうとしたら、係員にその前にこの書類に記入してね、と変な紙を渡された。皆のところに戻る。なんだこれは、旅客機にお客さんとして乗るほうが、小型機にパイロットとして乗るより難しいぞ。


機材のトラブルで30分ほど遅れるという。


免税店に同期のBenがいた。バイトしているという。ネクタイなんか締めてガラじゃないな、おい。アルコール買わないのか、というので3本買ってしまい、後悔した。重い。ここで買ったワインは、専用の密封容器に入れられて機内に持ち込むことができる。なるほど。


見慣れたはずの滑走路が違って見える。いつも通っていた学校の黄色い建物が反対側に見える。誰かがチェロキーを引っ張っている。こっち側では空港内に入るのにこんなに手間がかかるのに、同じ敷地内のはずのあそこにはいつも簡単に入っていたなぁ。日本では飛行機を引っ張ることなんてあるのだろうか。


無事にボーディングし、すべてのドアが閉められる。音が変わり、キャビンが与圧されていることを実感する。


777のエコノミー。意外と足元は広い。いいじゃん。


RWYは02。航空無線が聞ければいいのに。見慣れた景色が後ろに飛んでいく。もうしばらく戻ってこないだろう、さようならCHCH。


ぐんぐん昇る。


先は長い。。。


Flight and alcohol, never mixed... Tiger Beer Plz!! haha.
     2011.11.10 Thursday
例によって直前まで天気は微妙だったが、雲は上がることはわかっていた。何回も延期したので、部屋のセットアップはうまくなった。書類をぴっしりと並べて印象をよく。笑

さーてと、と言う声とともにDaveが入ってきて、薄板に小さな長方形を書いた。

「THIS is the paddoc. THIS is the wind direction. YOU are here.」

よかろう。

「HOW would you fly to make this paddoc?? Show me.」

ニヤニヤして何を聞くかと思えば。

着陸地点はPaddocの端から1/4入ったところ、その左右1マイルに1000ft点、その風上サイドに1500ftエリア。このエリアは1000ft点をピンポイントで通過するための調整に使う。だから、点ではなく広がりをもつ円であらわされ、点から円に向かって2本接線を引く。コーンに乗ったアイスクリームのような落書きが長方形の両脇にできる。どちらかのアイスの中に、風下に向かって持っていくことができればいい。

「Thats What I want to see today. Let's go to Selwyn.」

そうですか。見とけよー。

離陸直前に天気のレポートを聞いてWestにいくことに。さらにオペレーションをするDarfield上空まで,3500ftでいけという。まぁDepartureの変更もControl VFRも今までやったことがあることだし、確かに、おちついてやればどうってことはないのだけれど、本当にテストでやるとは。いや、テストだからやっているのか。さらにCHCH離陸時にEFATO(離陸後エンジン故障)課目を実施。にやっぱりこの人は不意を突いてくるのが好きらしい。私とDaveが乗るチェロキー(ZK-EBM)は滑走路の端っこからよたよた上がっていく。Go for Speedに気をつけて、一気にノーズを上げすぎないように。最後まで気は抜けない。

「Steep turn to the left 360 degrees, please.」

しゃぁ。

Ref. Point, Ref.Alt, Look out, PWR Full!

ノーズでまわして、滑らせないように気をつけて。。。エントリーさえしくじらなければ、うまくいく。バンク確立、バックプレッシャーセットで失速警報がなる。そこからさらにもうチョイバンクを。。。。VSIはびったり横を指して動かない。いい感じ。外を見て、VSIが少し上がる。バンクを深くしてすぐ戻す。Ref.Pointきた。リードを見てねじりこむように戻す。

「To the rifht, please.」

トルク効果によるエルロン入力レートの違いからくるラダー量と、VISのフェイク表示に気をつけて。これもノーズでまわしていればわかる。


「Max Rate turnか。私はSteep turn って言ったんだけど。。。」


。。。あれ?? そうだったっけ。


「でもまぁPerfectだったからいいや。」


はは、ありがとうございます。前回パワー制限下でやらされた手前(私自身が)よっぽど見せたかったんだろう。Air sickになりかけながら練習したMax rate turnを。。笑


DarfieldとKirweeという街のちょうど半分のところに、Air Strip(滑走路)があるという。目を凝らすと、かなり大きなGrass Runwayが NE-SW 方向に走っているのが見えた。08と26だという。DC-3という尾輪式の大型機が、遊覧飛行でこの付近を飛ぶことがあるのだが、その拠点だという。さらに言うと、隣に座っているおっさんは、そのDC-3のパイロットでもある。Darfieldでは何度もオペレーションしたが、知らなかった。ほとんどパドックと同じ色と形をしているので無理もないのだが。ここでForced Landingをするという。パドックを決めてしまっていいのか。それなら簡単だ。思ったとおりのパターンで、各種のブリーフィングをしながら降りていく。flapをうまく使って慎重に、だがしっかりとスピードを殺す。

「Perfect!!」

ふへへ。


さらにいくつかやったあと、すぐに「クライストチャーチへ帰れ」といわれる。本来この台詞は、Failが確定して試験を中断するときに使われる。一瞬どきっとしたが、今までのつかみからすると大丈夫だ。不用なプレッシャーを自分にかけるのはやめよう。必要のないことだ。

普通にjoining も滞りなく進み、135要件のP-Chartの計算結果をチラッと見せて SEAL RWYを選択する旨を告げたがGRASSでいいからノーマルランディングをみせろという。無難にこなして終了。燃料PUMPで握手。さくさく進んであっけなく合格してしまった。。。

デブリで言われたのは、よく全体が準備されていたということ、前回指摘した点が完璧に治っていたこと、EFATOではフラップをもっと早く使ってすぐに降りることなどを指摘。だが、テストリポートにはたくさんいい評価をもらった。うれしい。


もっとうれしいのは、担当教官のクニさんにとって、初めてのCPL生徒になれたこと。PPLから面倒を見てもらった、この恩師の記念に自分がなれたことほど誇りに思うことはない。一度悔しい思いもしたが、それとて教官と一緒に成長できた証といえる。さらに、一緒に訓練してきたTracy(男)というkiwi(同じ日に試験を受けて、同じFroced landing で落とされていた。)もこの日、10月29日に合格!!クニさん1,2 finishである。


Heeee-Haw! WE made it!! WE are Commercial Pilot Now!!!

     2011.11.03 Thursday
試験に落ちたという事実はひとつだが、その意味は無限につけられる。そして、悔しいのはその事実に対してではなく、自分でつけた意味に対してということが多い。自分の失敗には、ぐだぐだと言い訳を並べる前に自分の目的にプラスになるような意味づけができるようになりたい。

もし自分がラインパイロットになるなら、チェックに1度フェイルしてしまったとき(想像したくはないが。笑)自信を持って挽回するための練習だと思うこともできるし、インストラクターになるなら自分の生徒が試験に落ちてしまったときに、どんな言葉をかけてほしいか察するためのいい材料になるだろう。

どんなに受け入れがたいことからも、学ぶことができる根性があるかが大事なのだ。簡単なことではないけれど。


再試験日は約1週間後の10月29日に決まった。それまでに担当教官のKuniさんと対策を練る。まずはForced Landing を中心にDaveに指摘されたところをしっかりと直す。試験で気づかされたことは、Forced Landingは通常飛行の状態でパドックにある程度目処をつけておかないと、失敗する確率が増えてしまうということだ。エンジンはどこで切れるかわからない。慣れた空域では安全な場所がわかっていたのでその上でオペレーションをしておくという戦略で安心していたが、それではひとたび不慣れなところにいくと崩れてしまう。実践的ではない。

どうしたらいいだろうか。再テストまでの1週間で見えてきたのは、一度選んだパドックに自信が持てないと、うまくいかないということだ。

これしかない、というパドックを選びそこが100%正解だ!とわかっている状態であれば、パターンを作ったりPax Briefをしたりといった仕事に問題はない。むしろ簡単である。一方、迷いながら決めて、グライドしながらさらに本当にこれでよかったのか、などと逡巡し、高度が低くなったところで羊がパドックでのんきに草なんか食んでいやがるのを発見したりすると「うわー」と思う。その「うわー」がほかの仕事を邪魔してしまう。当たり前だが、本当にエンジンが止まったら羊がいようが降りるしかないわけだが、羊をプロペラで切り裂きながら不時着しました、なんていうのはあんまりスマートではない。

「うわー」なパドックを選ぶときは大体、何も準備していなかったとき突然エンジンが切れて、グライドしながら初めて探す、というようなときだった。成功率を上げるには、やはりあらかじめ安全な場所、着陸に適切な場所を知っておく必要がある。それができなければ不時着できないという意味ではない。コンセプトの問題だ。実際にフェイルした試験でも、ちゃんと着陸できる状態にもっていくことはできた。でも、もし風が強かったら、届かなかったかもしれないという危うさを残した。成功率をより100%に近づける(お客さんだったらそうしてほしいと思うでしょ)には、やはり準備だ。届いたのにフェイルしたという意味は、ここにある。ここを直さなければいかん。

OK、じゃぁ準備は準備として、対策のひとつだ。もうひとつ大事なのは、自分の準備がどんどん打ち破られて不覚にも「うわー」な状態になってしまったときのこと。そのとき「うわー」に任せて自分の頭を羊でいっぱいにするようなことはあってはならない。一歩引いて、頭に余裕を持たせる。言うほど簡単ではないし、この段階でできるかどうかはわからないが、この着眼点を持てたことはいいことだとおもう。


1回のフライトで10回以上スロットルを切る。Forced landing祭りの一週間はあっという間に経った。土曜日、リベンジの日だ。



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プロフィール
2010パイロット訓練
2013インストラクター
2018エアライン

命を削って、ニュージーランドでキャリアを掴む
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