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     2011.12.31 Saturday
私がニュージーランドで飛行機に乗ってきて、学んだことの中に、

上空で使えない知識には、穴の開いた長靴ほどの価値もない。

がある。

ニュージーランドの学科は量も多く、1000時間以上の授業があった。だが、各科目ごとに勉強した知識が上空でどれほど活用されたか。意識して活用していたか、となると、正直、個人的には5割程度ではなかったかと実感する。実際に学んでいたこと、知っていることが、上空で出てこない。意識はしていたが、飛んだことがない人間には、上空で使える準備と使えない準備の見分けがつかないので、一生懸命やればやるほどはまることもある。(私が、はまったクチです。orz)

誤解しないでほしいのは、はまることも、大事だということ。海外の比較的安い訓練単価だからこそ、失敗をたくさんできる。自分の魂に刻まれる失敗をだ。もう一度言うが、魂を削られるような失敗である。笑(←笑うな。)

だが、日本の訓練でこれをやると、非常にまずい、Try and Errorを繰り返すほど、お金に余裕がないからだ。という危機感から、最近はこんなことをしだした、、、





汚い落書きではない。マインドマップと呼ばれる方法で、フライトの段階ごとに関連する事象や行動を分類して、学科の知識を体系化し、上空で使えるようにしたい。最近思いついただけで、したがってこんな、画用紙に殴り書きした程度だが、手ごたえは、いい感じだ。ここから枝がどんどん放射状に分かれて、階層化する。

ちなみに、写真はPre Flight、つまり飛行前にどんな行動が必要で、それぞれにどんな知識が必要か、それを枝上に分けて階層化する。前者は、自分のとる行動別、後者は、学科の科目別に切り分けたが、どちらがいいだろうか、、、

訓練していないからって、空から降りたわけではないぞ。









     2011.12.22 Thursday
今から1年とちょい前。

海外での飛行機免許取得にあたり、ニュージーランドの訓練校と、アメリカの訓練校のどちらに行くのか、を決めた。

結局、ニュージーランドの学校にしたわけだが、訓練の質が良さそうだ、という主な理由のほかに、一定期間、海外で生活してみたいという副次的な理由もあった。訓練期間が最低でも1年と長いことは、金銭的にはデメリットだったが、この目的のためには好都合だった。なぜそんな目的があったのかというと、こんな風に考えたからだ。


日本にこのまま住んでいて、本当に大丈夫なんだろうか。。。


英語を使って世界で活躍したい!!などという就活サイトの広告みたいな動機があったわけではない。そんな能天気な台詞を口にするには、あまりにも年をとりすぎていた。私が今、話をしているのは、経済的に日本が破綻してしまう可能性のことだ。私は、割とリアルに、日本がデフォルトして、銀行に預けている生活資金がぶっ飛んでしまう事態を想像している。日本以外の国で暮らしていけるように、準備しておきたかったのだ。最低でも、自分と、その周りの人たちは守れるようになりたいなと。海外で1年生活して、帰国して、その思いはどんどん強くなってきている。


先日新聞を見たら、復興国債と銘打って、政府が国債を買ってくれる人を募集していた。1990年代のバブルのときは、明らかにおかしいことが起こっているのに、土地の値段は上がるという根拠のない判断でみんなものすごいレバレッジをかけて土地を買ったらしい。後から考えて、あの時代はどうかしていた、というのは簡単だろうが、今国債を買うのも実は同じことではないのか。なにしろ、50兆円もらって95兆円使うから、足りない分は借りてくる、というのを毎年繰り返しているのだ。そして、借金は今年度末で667兆円らしい。。。

財務省の資料。13ページがわかりやすい。

バブルに話を戻す。バブルは、はじけた。当たり前だ。そこから日本の経済はずっとデフレという植物状態だ。国債という人工呼吸器でなんとか心臓を動かして資金という血液の循環をとめないでいることができるけど、人工呼吸器には、「国民の貯金」と書かれた酸素ボンベが次々と運ばれてくる。海外からの酸素ボンベはほとんどない。

国中の酸素がなくなったら、どうするつもりなんだ。

後から見たら、明らかに破綻するってわかっていて、どうして何もしなかったんだろうね、と言われるかもしれない。「国が破綻する」というのは、簡単に言えば「明日から何も買えない。」ということだ。自分が銀行に預けたお金や、手元に持っている諭吉サンが、すべてぶっ飛んでしまうということだ。冷静に考えると、ものすごく怖い。飛行機の訓練のために何百万円も借金して、やっとこさパイロットになれたとして、そのタイミングで日本がデフォルトしたらどうしよう。。。

あ、でもそれなら何百万円の借金もその価値を失うからトントンか。給料も紙くずになってしまうのだろうが。









     2011.12.17 Saturday
金曜日の仕事帰り、同期のTAKAから携帯にテキストが入った。

「今東京、明日Jetstar Japanの説明会行ってきます!」

聞くと、そういうのが明日、羽田であるのだという。募集要項ではジェット機の経験がありかつ、コーパイで1500時間以上という「いつもの条件」に当てはまる人が対象のようだったが、説明会で話だけでもとTAKAが問い合わせたところ、問題ないとのことだったのでいくことにしたらしい。そうですか、ということで、私も行くことにした。


場所は羽田空港ターミナル内の会議室だ。昼過ぎの開始時間15分前に会場に行ってみると、80席ほどの部屋の半数が埋まっていた。結構年配の人も多い。この人たちみんなパイロットなんだろうかと感慨にふけっていると開始時間に。気づけば、部屋は満員。100人は居たと思う。こんなに転職したいパイロットの人がいるんだなー。


説明会が始まる。ジェットスターの軽い紹介をして、この後の展望の説明を受ける。A320を最終的に24機導入するらしい。訓練はA320のタイプレーティングとラインの訓練などを主に海外で行う。自前のシミュレータを持っていないので、持っているところで借りて行うらしい。場所は、メルボルンやクアラルンプールなどだ。全体で4ヶ月半。座学はCASA(オーストラリアの航空当局)基準のものを最初に行う。たぶん、グループの母体がオーストラリアだからだと思う。

給料の話になり、会場全体の空気が変わるのがわかった。みんなそこが聞きたかったのだろう。ちなみにコーパイはベース給料が600万円台で、50時間を超えると1時間単位で歩合が増えていく。通常月に70時間程飛ぶことになっているらしい。ボーナスも出る。年収で800万、よくて900万円くらいだろうか。機長は、ざっくりその倍弱、くらいだったとおもう。

身体検査や航空英語証明は自分もち。仕事ができる状態を維持するのは、パイロットの責任という立場のようだ。よって、A320のタイプレーティング費用も(現在のレートで160万円くらい)自分持ち。

NZのジェットスターに勤めている友人がいて、よく話をきいていた私には、別段驚くことでもなかったが、この話が出たとたんに部屋の空気の温度が2℃くらい下がったんじゃないかと思うくらいの「引き」を感じた。日本では、一度会社に入ってしまえば勝ちで、大変に恵まれた福利厚生や複雑な手当で会社がいろんなことをしてくれるのかもしれない。でも、海外の、それもLCCだ。

いや、LCCだろうが、フルサービスだろうが、従業員が会社にぶら下がれば、その重みの分、確実に会社は地面にめり込むのだ。それを風呂敷に包んだまま開けないでいるか、中身を取り出して振りかぶり、直球でぶつけてくるかの違いはあるが、起こっていることは変わらない。日本のパイロットのかたがたがどう受け取ったのか、想像の域を出ないが、私の感じる限り、彼らはギャップを感じていたように思う。彼らは、どう対応していくのだろうか。

私は、魅力的な条件だと感じる。しかも、会社を1から作り上げていく段階だ。そんなの、楽しそうじゃないか。訓練でオーストラリアにもいけるし、外国人と一緒にオペレーションもできるし、近距離の国際線もやるらしいし、最新鋭のジェット旅客機で日本の空を駆け回るなんて、本当に楽しそうじゃないか。

今回の採用は、募集要項にあるとおりジェット機に乗った経験がある人が対象だ。私やTAKAのように、プロペラ機だけ経験した段階の人間を雇うのはまだ先になりそうだ。実際に聞いてみたが、まだそこまでつめていないし、あるとしても就航後、社内の訓練体制が整ってからということになるだろうとのこと。具体的なアナウンスを待つしかなさそうだ。。。


その後も質問が相次ぐ。年金、退職金、交通費、エリミネートされたときは会社に残れるか、70時間本当に確保できるのか、、あの部屋に居た大部分の人たちの興味は、待遇についてのものであった。そういうことも、重要なのはわかる。彼らには、守るものが多く、私には少ない。だから、無理もないとおもう。でも、それだけなのか。それ「だけ」というのは、あまりにもさもしくないか、だって、彼らは、ログブック上は私の何倍も経験を持っているパイロットなのだ。私も、そうなるのだろうか。パイロットって、そんなもんか。


ふと、隣のTAKAを見る。ニヤニヤしている。

「まだJCABの免許すらない俺達が勝てるのは、『お金要りません』っていうとこだけかもね。笑」

わはは!確かに。














     2011.12.16 Friday
日本でパイロットになるために必要な資金を準備するために、パイロットとは違う職に就いたわけだが、自分の選択に対して不安がないわけではない。

私の場合は、年齢が気がかりだ。私の年齢では、自社養成で入った人ならすでに副操縦士でガンガン飛んでいる人だってたくさんいるだろう。昔あこがれていたF-15のパイロットでも、部隊に配属されて、やはりガンガン飛んでいるころだろう。彼らと比べて、ただでさえ出遅れているのに、ここへきて1年のブランクかと。そういう風に考えると、軽く絶望感にとらわれる。

戦略がないわけでもない。現在LCCと呼ばれる新興の航空会社が日本にどんどん進出しようとしていて、彼らが航空会社である以上、パイロットを雇わなければならない。まずは、旅客機の免許を持っている人たちを海外や国内の市場から調達するだろうが、海外のパイロットは割高だろうし、国内で旅客機を操縦することができる副操縦士というのは、絶対的に足りなくなる。今から2、3年後に副操縦士の卵が不足するんじゃない、、、

かなー。

だから、1年ブランクをあけるくらいでもしかしたらちょうどいいのかもしれない、、、

かなー。


これが当たるかどうかは問題ではない。そんなことは、考えても仕方がないことで、考えても仕方がないことは、考えても仕方がない。ただ、まったく見込みがない状態で暴走しているわけではないことを、披露したかっただけだ。

また、今の仕事も、パイロットと違うけれど自分のためになる職種を選んでそれに1年邁進する。また、仕事をやりながら、次の訓練を効率的に終わらせるための計画を練る。先に行ってくれた先輩に情報をもらって、できるだけお金と時間を有効に使えば、いいパイロットになれるはずだ。


私が視点を少しずらすだけで、なんだか実は1年ブランクをあけることが案外近道になるのでは、という気にさえなれる。重要なのは、目の前の状況への意味づけだ。そして、その中で最善の道筋をたてて、厳密に実行すること。面白いことに、その中で不安は常にあって、自信という感情と共存している。

与えられた材料の中で最高の料理をするだけだ。その点でブレたことは、一度もない。














     2011.12.08 Thursday
仕事が決まった。

内容は、自動車部品メーカーでの技術文書翻訳とその付随業務というものだ。正確に言うと、決まったのは1週間ほど前で、昨日は派遣会社と雇用契約を結ぶための書類の取り交わしのために都内に出た。派遣労働者として働くのは初めてだが、私のように、仕事以外の時間を確保することにプライオリティがある場合は、都合のいい業務形態だと思う。

ただし、日本の従来の雇用方式(正社員というとわかりやすいが、差別的な言葉だと思うのであまり使いたくない。)と違って、何もしなくても給料が上がっていったり、何もしなくても(特別な理由がない限り)定年まで雇用されるというような制度設計ではないので、自分のスキルアップにつながるような戦略を持たないと、リスキーであることは否めない。でも、やりようによっては、よい結果も出せると思う。自分のために使う時間が確保できるのだから。危機感をエネルギーに変えられるかどうかが鍵だ。

その点、今回はかなりラッキーだった。前職の経験を活かして、かつ英語をなまらせないようにしたかった。もともと通訳・翻訳者になるというのも目標のひとつだったので、技術系の通訳・翻訳者という要望を派遣会社に伝えたのだが、なかなか見つからないと思っていた。というのは、英語のできる技術者という募集はかなりあるのだが、翻訳を専属で行う者ということになると、経験者の募集がほとんどであるからだ。私は通訳・翻訳者としての実務経験はなかったので、無理かもしれない、と。

ところが、派遣会社の担当の方によると、私の案件がファイルされた数日後にドンピシャリの内容で募集が入り、びっくりしたらしい。うむ、ラッキーだった。

英語ができる「技術者」ではなくあくまで技術系の「翻訳者」にこだわったのは、技術者は現場に長期間食い込んで、初めて成立する仕事だからだ。自分の設計する製品や製造現場に物理的に張り付いていないと、製品の設計はできない。それに対し、翻訳というのはそれ自体が応用可能な個人的なスキルだから、今の私にはすごく合うと思ったのだ。誤解しないでほしいのは、翻訳が片手間でできると思っているわけではない。パターンの蓄積が翻訳の精度を上げていくだろうから、ある時点まではその収集に膨大な時間が必要だ。これは、本当に火を見るより明らかで、やるからには120%で、本気でプロを目指してやる。

1年ほど働いてお金をためて、日本の訓練に移る予定だ。お金のことを考えると気が遠くなるが、最近思うのは、訓練を最短時間で終わらせることが、がんばって働くことよりも何倍も効率よくお金を調達することと等位だということだ。何せ、双発機では1時間飛んで12万円もする。一度試験に落ちたら、再訓練も含めて200万円くらい飛んでいく。やくざな世界である。

しっかりじっくり準備して、先に行っている人たちからいろいろ話を聞いて、いざはじめたら最初から全速力で勝負できるようにしたい。

うるぁ!!!!
やるぞ!!!!!!!



ぞ!!








     2011.12.05 Monday
先週末、NZの学校の座談会があった。

1年前に私が行ったときと同じく、今回もルノアールの会議室を予約していたようだ。今回は卒業生としての参加である。感慨深い。土日あわせて参加者は10人ほど。学校側の卒業生も6人(+教官1名)と、かなりの数が参加し、会議室が窮屈に感じられるほどだった。私以外の卒業生は全員ラインパイロット(コーパイ or 訓練生)だ。うひょー。(そういえば初日は、前日に帰国した同期のTAKAもいたっけ。)

時間が経つにつれてそれぞれ個別に話をし始め、蛙が鳴き散らす夏の田んぼみたいに部屋中が騒がしくなった。それなりに盛り上がったのではないだろうか。参加者の方々のバックグラウンドは、働いている方、学生の方、起業した方、家族がいる方、自社養成を断念した方、NZに興味がある方などさまざまで、中にはこのブログを長い間(旧サイトのときから)読んでいたという方がいらっしゃり、じっくり話ができてとてもうれしかった。C制度を受けていたときは、ものすごく暗い記事を書いていたが、続けてきた甲斐があったもんだ。学校をひとつに絞る決定打となる情報を求めている方が多かった。

ほんの1年前は、私もまったく同じ状況だった。いろいろな質問を考えては、いまいち具体性に欠ける答えをもらってもやもやしていたのを思い出した。だが、今訓練を終えて思うのは、その「決定打」を言葉で説明することの難しさだ。

「基礎を重視しています。」

「日本で飛ぶことを見据えています。」

といくら言っても、ほかの学校だって同じ事を言っている。だいたい、日本で飛ぶことと海外で飛ぶことがどう違うのか。日本のほうがすごいという人もいれば、そうではなく「ラインを目指した操縦」という考えを提唱する人もいるし、大型機と小型機、という風に分ける人もいるし、海外のほうが難しいという人もいるし、日本だろうが海外だろうが飛行機は一緒だという人もいる。正直、私もよく整理がついていない。

どうやって説明するべきか、少し迷った。NZで230時間弱飛行機に乗った経験を踏まえて、自分の飛ばし方(勉強のやり方と言い換えてもいい)に対する自信を、飛んだことがない人に言葉で説明するのは、ものすごく難しい。うまく説明できなかった部分もあるので、そこを補う意味で少し説明を試みたい。



座談会は、私にとっても重要な情報を得るチャンスだ。もうすぐ機長昇格が視野に入る方や、副操縦士の発令を受けた方、最近内定をもらって地上研修中の方など、さまざまな段階の先輩がいるからだが、そういう方たちと話をしていくうちに、今まで整理がつかずにあいまいになっていた点に、だんだんと確信が持てるようになってきた。つまり、私が今までやってきたことが「日本で飛ぶ、ラインで飛ぶ」という観点からみて間違っていないということ、足りないところはあっても、この方向性を維持していけばいいんだという自信がついてきたということだ。

私が機長昇格間近の先輩に、計器のスキャニングについて少し突っ込んだ質問をしていたとき、ある副操縦士発令したての先輩が、「ラインパイロットは、なにかスペシャルな技術をつかっているんじゃないかって、思っているんでしょう?」とニコニコしながら聞いてきた。実際にそのとおりで、NZで学べなかった重要なことが、日本には、ラインには、何かあるんじゃないかという観点から出た質問だった。その先輩も、昔同じような質問を同じ人にぶつけたらしい。笑

PPLの頃、ピッチとバンクとパワーがいつまでたってもぐらぐらと安定せずに、毎日毎日飛行機がうまく飛ばないことに悔しい思いをした。IRでさらにぐしゃぐしゃになって、それがCPLでやっとぐらぐらが収まってきたという経験をしてきた。そういうことを1年やってきて、やっとピッチとパワーとバンクを決めることはできてきたけれど、本当にこれだけでいいのだろうか。日本には、まだまだ知らないことがたくさんあって、NZでやっていないことがたくさんあるんじゃないだろうか。。

「でもね、僕もおんなじ質問をしたんだけど、びっくりするくらい飛行機はピッチとパワーとバンクだったよ。」

もちろん、やり逃したことはあるだろう。でも、ラインに行った先輩にそういってもらえたことで、私がやってきたことは間違っていなかった、と自信を持つことができた。技量的には、まだまだだと思うし、上を見たらきりがない。でも、やり残した材料を使って立派な家を建ててやろうと思えるような、一流の基礎ができたと感じている。あとは、その方向性を間違えないように適宜アドバイスをもらいながらやっていけばいい。


座談会が終わった後、(もちろん)皆で軽く飲んだのだが、そこではNZ思い出話にもなるのでものすごく楽しいものになった。皆だいたい同じところで苦労していて、親近感が沸く。そういう先輩が実際にラインに就職されていることほどわれわれを勇気付けることはない。いい先輩を持ったなー、と、

まてよ。

ということは、私もすでにその流れの中に組み込まれているということじゃないか。今日会った人たちは、一年前の自分で、現在の自分は今ここにいて、目の前の先輩方はそれぞれ未来のある段階での自分だ。同時に、先輩にとって私は「昔の彼ら」でもある。この流れを途絶えさせるわけにはいかない。もうすでに自分の背中も見られているんだと気づいて、IAANZの歴史と1000万円の借金を背負う覚悟を新たに、、、

さーてどうすっかな。。。










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2018エアライン

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