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     2012.02.26 Sunday
自分より真面目な人を見ると、もっと勉強せねばとおもい、自分よりお気楽な人を見ると、もっと肩の力を抜かねばと思う。ふらふらと落ち着かぬが、きっとそういうもんなのだろう。



周りにはいろいろなひとがいる。彼らをみて、影響されるのは仕方がないが、私は彼ら自身にはなれぬ。




負帰還回路というのを知っているだろうか。電子回路の中で、出力結果を入力に戻して次の出力が行き過ぎないようにコントロールするための回路だ。



何も電子機器だけではなく、人間にだってこの仕組みはある。車を運転していて、例えば50km/hをキープしたいとき、アクセルを踏み込んでいって50km/hの表示にスピードメータの針が近づくにつれて徐々にゆるめ、針が50km/hの手前で止まったらアクセルを少しだけ踏み込み、超えたらゆるめ、それを繰り返してその振幅を小さくしていくと、うまく50km/hが維持できるようになる。結果が多すぎたら引いて、少なすぎたら足す。結果と逆のフィードバックを加えるから、「負」帰還回路。



ユラユラと揺れうごきながら、できるだけ自分の真ん中にいたい。








     2012.02.22 Wednesday
前記事の続きです。

パイロットが接地に気づかないという事態が起こり、それが事故の原因となった。これが真実なら、正しい対策とは、

「接地を誤認しないように措置を講じること」

である。


私は、コクピットに「接地ブザー」を付けるという対策を提案したい。どうだろう、かなり大掛かりな設計変更が必要に聞こえるだろうか。

脱線するが、現在私のやっている仕事(技術文書の翻訳)で車の電子機器の話が出てきた。それによると、今の車はCAN(Controller Area Network)といって、いろいろな場所にあるセンサーやライトなどの装備一つ一つにそれらを管理するためのICチップ(CPU)が付いているのだそうだ。車のいたるところに判断をしたり、信号をやり取りするための頭脳が散らばっている。

この頭脳たちは、それぞれが山手線のような環状経路でつながっているため、離れているところにいる頭脳とやり取りができる。今までは、離れたところにある電子機器に新しいことをさせようとしたら、必要なセンサーからその機能の数だけ銅線を引っ張ってやる必要があった。つまり、ある駅から駅へいちいち線路を引かなければいけなかったのだ。だが、今は山手線で全てがつながっているので、このような物理的な変更ではなく、ソフトウェアのプログラムを変えるだけで、つまり電車のダイヤを改正するだけで、あるセンサーの情報を、離れたところにある電子機器に届けて、何がしかの動作をさせることができるのだ。

車でさえこうなのだから、電子機器の塊であるA320にこれができない理由があろうか。


そして、ジェット旅客機の主脚には、エンジンのスラストリバーサの安全装置につかうためのセンサーが付いていて、主脚に荷重がかかったことを検知している。条件はそろった。あとは、ソフトウェアを少しだけいじって、着陸の際にこのセンサーの情報を音か光などで知らせるようにプログラムを組めば良い。



さーて、長くなりそうなのでこの辺でスカッとする映像を。笑
私のNZ最後のフライト、KUNIさんとのアクロバット体験。ハンマーヘッドターン!



私の提案を現役のA320パイロットの友人にしてみたところ、彼個人の意見としては、必要ないとのことだった。(彼は、NZで知り合った台湾国籍のオーストラリア人、ジェットスターではたらくほぼ同い年クン、、、だったとおもう。笑)理由は、

・接地の瞬間は、前を見ているから、計器は見ない。(これを受けて、じゃぁ、ブザーにしたら??と突っ込んでみたのだが。)
・接地しているかどうかを知るよりも、問題は地表近くのゴーアラウンドに対応し切れていないことだ。

とのこと。彼によると、地表近くのゴーアラウンドというのは着陸に意識が向いているため、不用意になりやすく、それは大変危険で、ゆえに難しいのだという。そこは納得できる。以前にも似たようなことを書いた気がする。

だが、電波高度計が「Ten」をコールしたあとの最後の最後、人間の感に頼っているところをもうひとつ判断材料を与えて「管理状態」を強化することに、大きなデメリットはないと思う。操縦しているパイロット"PF"の負担になるというのなら、隣で計器を見ているパイロット"PNF"にモニターさせても良い。なにより、単純なソフトウェアの変更でできる(と私が勝手に考えている)のだ。


私の提案の是非は別にして、大事なのは、こういうことを面倒くさがらずに考える、ということではないだろうか。全日空の談話によると対策は、

「地表近くのやり直しでは機首角に気をつけるよう全パイロットに注意喚起した。」

であった。

なにか事故が起こったときに、「次は気をつけよう!!」と注意することは、対策と呼んでいいものではない。人の注意力にはムラがあるという弱点を、航空会社なら骨身にしみて知っているはず。それでもこういう策に甘んじてしまうのは、単純に、そうすることが一番楽だからだ。「面倒くさい」という理由は、得てして組織の施策の強力な採用基準になっていることを、私は肌で学んできた。まぁこれはパイロットになる前の話である。あの頃は暗かったなぁ。。。笑

余談であった。

でも、これが死亡事故だったらどうしていただろう。つまり、ゴーアラウンドで尻をこすって左右にバランスを崩し、飛行機がひっくり返っていたら。ゴーアラウンドで尻をこすってフレームが歪み、方向舵が変な方向に固定されてスパイラルダイブでノーズから突っ込んだら?結果の軽重で対策を変えるのだろうか。それでは遅い。

長くなったが、最後に友人の言葉を載せておく。

「like any other accident / incident though, its easy being the armchair pilot, sitting here pointing out his error. but if i was in his position there's a good chance I may make the same mistake also」

良いパイロットの第一条件は、やっぱり想像力だ。



     2012.02.20 Monday
2月5日に起きた、全日空機の仙台空港での事故について、報道を見ていて思うことがあった。念のため最初に断っておくが、事故を起こしたパイロットを批判するために記事を書くのではない。それは、私がやらなくても、パイロットではない人たちがすでにやっている。運航中に飛行機を壊したパイロットの気持ちは、よくわかる。いろいろな意見はあろうが、私は私の立場で、この事件に対しての見解を述べてみたい。

全日空便尻もち事故「接地していない」と誤認か : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

この読売新聞の15日づけの記事によると、全日空の発表は「すでにタイヤが接地していたにもかかわらず、機長らが『まだ機体が浮いている』と誤認して着陸をやり直したことが、事故につながった」としている。これは本当に真の原因だろうか。

また、記事の最後に「同社は『空中にいるとの誤認から、機首上げのタイミングが早まった』とみて、地表近くのやり直しでは機首角に気をつけるよう全パイロットに注意喚起した。」とあるが、これは原因に対して、ロジカルな対策と言えるだろうか。


最初に感じたのは、接地を感じないというようなことが、ありうるのだろうか、ということだ。私の経験は当てにならない。なぜなら、動画のようなGlass Runwayに、ほぼ毎回ショートフィールドで降りていたから。


【NZCH Grass 20への着陸 by 教官のKuniさん。これはショートフィールドではない。綺麗な着陸だー。

接地したら必ずオレオがメタコンしてごん!ごん!なんていっていた。そもそも小型レシプロ機とジェット旅客機では感じ方も全く違うだろう、条件は全く違うから、この話は余談であった。本題に戻る。

接地に気がつかなかった、ということが事実だったとして、これが事故原因にどうつながるのだろうか。車輪が接地しているいないにかかわらず、電波高度計という精密な計器が地表までの距離を読み上げているコクピット内であれば、少なくとも「地表に非常に近い」ということは、当たり前だがパイロットは認識していたはずだ。地表近くで頭を上げ過ぎたら、後ろがあぶないのは自明。つまり、「接地を未接地と誤認した」という事実は、やらなくていいゴーアラウンドを決断した理由にはなっても、頭をあげすぎで尻をこすった原因にはならない。これは、最後の記事の文面からも明らかである。

「地表近くのやり直しでは機首角に気をつけるよう全パイロットに注意喚起した。」


もし接地の誤認が原因ならば、接地を誤認しないように措置を講じることが対策になるはず。全日空のこの発表には、大いに疑問を感じる。それは、対策が原因に対して論理破綻しているからだけではなく、人の注意力に頼った安易な対処療法であり、システムに対する根本対策から逃げているからだ。

文句を言っているだけではただの批評家になってしまう。繰り返すが、私はパイロットを批判しているのではない。自分がそこにいたら、同じことを繰り返さないとも限らない、いや、繰り返すはずだ、と考えるのがパイロットという人種だ。

次回は、この問題に対する私の対策案を紹介してみたい。


















     2012.02.13 Monday
今日、NHKの番組でB787の導入に関わったキャプテンの特集がやっていた。

私は、メモにこんなことを書いていた。

・空気と仲良くやる。
・0.001%の不良率でも、部品点数から言ったらどこか壊れている。機械を信頼しているが、絶対はない。
・仕事をするパイロット。
・ミスは、起きても収束させる。
・英語?
・未熟を抱えつつ、それでも安全を確保しながら飛ぶには??


世界で初めて導入される新型機の、運航面チェックの責任者、早川キャプテン。お客様を乗せる前までに、不具合を出し切り、飛行機というメカを、お金を生むシステムの一部にしていく。なんと面白そうで、大変そうな仕事か。そして、もう一つの大仕事は、このシステムを運航する乗員の育成だ。

早川キャプテンに鍛えられる、他機種で7年の若い柴山キャプテン。そう、訓練生からして機長なのだ。それでも、早川キャプテンがより実践に即して改良したLOFT訓練を受ける訓練生の表情を見て、トマからセネカに乗り換えたころの自分を思い出した。どこまでいっても、新機種というのは厄介なものらしい。そりゃそうだろう。あんな複雑なシステムだ。でも、どこまでいってもやることは変わらないのだと分かった。泥臭く、目の前のことをサボらずに一つ一つ。


さて、私が今までやって来た訓練と、ラインの現場の訓練が質的にかわらないのだとしたら、よく言われる「ラインにつながる訓練」というのはなんなんだろうか。それは、「つながらない」訓練と比べて何が違うのだろうか。データに基づく飛行?着陸のタイミングを数値で知っていること?1ftもずらさない正確無比なグライドパス??


違う。(いや、最終的にはこれらは重要なことなのだが、枝葉である。)


だって、コーパイは言うに及ばず、7年間キャプテンをやってきた人でも、現場でいっぱいいっぱいになってしまうのだ。そして、彼らはラインパイロットだ。つまり、完璧なフライトをすることは、最終的な目標でありこそすれ、ラインで仕事をするパイロットの必要条件ではない。

当たり前すぎて忘れてしまうのだけれど、ラインパイロットにとって、実機で飛ぶのは訓練である前に実運航であるということ。未熟をいいわけにお客さまを危険に晒していいわけがない。訓練と実戦が交錯する曖昧な領域で、プロとして安全性を担保しつつ、したたかに自分も上手くなっていく。そういう強さを持っているか、訓練をしながらも、仕事をしているか、お金を貰うに足る結果を出しているか。この心のありようが、ラインにつながる訓練の正体。

問題なのは、自分でお金を払っている150馬力の飛行機の訓練の段階で、その意識が持てるかどうか。このしたたかさは、実際にお金をもらって飛ぶようになってから、パチっとスイッチが切り替わるように備わるものではない。特に自費で訓練をしていると、薄れやすいのではないだろうか。学校にお金を払っているからといって自分が「お客さま」になっていないか?プロを目指さないならいいけれど。

自費でも、最終的な目的がプロになることであれば、我々にとって飛ぶのは仕事。自分の今日の態度が、実運航だったらどんな評価をもらうだろうか。

考えてみよう。
     2012.02.09 Thursday
南半球の島国での放埒の日々を終え、極寒の極東の島国に帰ってきて私を待っていたのは、劇的な環境の変化だ。透き通るような青空をかけめぐっていたあのころから一転、今は電車に揺られ、つり革に捕まらずに直立し、電車の揺れにいかに柔軟に対応するか、という選手権(これについてはもうひと記事書けるくらい極めつつあるが、趣旨が逸脱するので今回は書かない。)を孤独に開催している毎日である。

この環境の変化で、体に疲れが溜まりがちだなと薄々感じていた。勉強して夜遅くなれば、朝も眠い。毎日徐々に疲れが溜まっていくような生活は、気持ちのいいものではない。理想は、朝布団から出て仕事に行く時までに、一ミクロンも「眠いーつらいー」という感情が起こらないことだ。これができたとしたら、人生の目的の一つを達成したといってもいいのではないだろうか。

毎朝揺られる電車の中、最近はサンマーク出版という出版社の広告が目につく。その中で、こんな本があった。

なぜ、「これ」は健康にいいのか。 小林弘幸


サンマーク出版の本は、タイトルがいかにも「キャッチ」という感じがして、あまり好きではないのだが、悔しいことに書いてある内容については結構実践的なものが多く、けっこう有益な情報に出会える。今回の本も、指示代名詞をタイトルにもってくるあたり、心境としては「ちょこざいな!!」という感じだったのだが、目についたのは、副題だ。


「副交感神経が、人生の質を決める」



日本に帰ってきてからの私は、疲れをいかに溜めないか、コンディションを整えるかということをよく考えてきた。風呂にゆっくり入ったり茶室に心奪われたりというのも、それが顕在化したのだろう。そういった私の問題意識に、本書はぴったりはまった。帰宅途中の本屋で少し立ち読みし、購入を決めた。最近は節約しているので多少気に入った本だからといって、以前のようにバカスカと買うことはなくなっているのだが、この本は買って自分の近しい人に薦めたいと思ったのだ。



本書の内容を要約すると、「自律神経のバランスを整える意識を持ち、そのための簡単な方法を実践することで、いつも体が快適で強くいられる。」となる。自律神経は、呼吸や心臓の拍動、腸の煽動運動や体温調節など、自分では意識でコントロール出来ないものを自動的にコントロールしている。その中には免疫系も含まれる。体中の毛細血管の収縮・弛緩までコントロールしていて、つまり60兆以上と言われる細胞のひとつひとつにICチップが付いているような奇跡的構造をしている。

自律神経は、交感神経、副交感神経という2つのモードを持っている。バランスを取る、というのはこの2つのモードを両方共活性化させることだという。この2つについてよく言われるのは、時間や体の状態によって、まるでシーソーのようにどちらかが優位になるというような説明だ。だが、これは十分ではなく、両方が高い、両方が低い、という状態も考えられる。目指すのは、両方が高い状態。

本書の視点を通してみると、日本という国は兎に角、交感神経優位の人が多いということ。駆け込み乗車、満員電車、競歩のような通勤路、いつまでも明るい社屋。。。NZから帰ってきて疲れがたまるのは、このためだと思う。逆に、自律神経の状態を自分の意のままにできれば、それは60兆の細胞を直接コントロールするということだから、一日の疲れを血流に乗せて雲散霧消させるのなんか簡単だ。。。

そのためには、兎に角全てをゆっくり、やること。急ぐときも、ゆっくり早く。決して息を止めないように。

著者は小児科医で、子供の手術をすることもあるという。子供の体というのは一つ一つが小さく、細く、見づらいのだそうだ。ちょっとした呼吸の乱れが、細い神経を傷つけて、その子供の人生を台無しにしてしまう。そういうプレッシャーと常に戦う仕事だ。特に細かい作業をするときは、息を詰めて「針の穴を通す」作業をするのかとおもいきや、一流の外科医というのは、そういう極限でも決して呼吸を止めないのだそうだ。全く逆で、呼吸の動きに、手の動きをあわせていく。それは、呼吸が自律神経を通して平常心をコントロールしているからで、息を止めた瞬間にすべてのバランスが崩れてプレッシャーに負けてしまう。プロとは、自分をいつも平常心におくその具体的な方法をみにつけた者のことを言うのかもしれない。

パイロットは低い気圧の中で時差ボケと闘いながら頭脳労働を強いられる仕事だ。そして握っているものは、人の命!よい本に出会えた。



     2012.02.08 Wednesday
私は、兎に角ものを深く考える人間なので、好きな飛行機については考えだすときりがない。ただ、あまり気を揉んでも仕方が無いと思うこともある。いろいろな問題に関して深く考えられることは、後々役に立つのかもしれないが、欠点は、今何のためにこれを考えているんだっけ?と大局を見失うことがあることだ。訓練を始めた頃は(今でも油断するとそうだけど)コクピットの中の計器にばかり目がいっていた。これも、ちゃんと飛びたい、うまく飛びたい、という気持ちが先行しすぎた結果だったかもしれぬ。視点を変えてみるとわかることもある。その一例を示そう。



パイロットの一日を8分にまとめた動画。多分、A320かな。早送りすると、なんだかとても簡単なことをしているように見える。路線バスに乗っているような感じだ。実際は、やらなければいけないことや考えなければいけないことがたくさんあって、簡単そうに見えるからといって本当に簡単なわけではない。当たり前だが。(それにしても音楽がよくハマっているなぁ。。。)

でも、やっていることの本質というか、ラインパイロットが飛行機に乗る第一義的な目的は、決して、うまく飛ぶことではない。重要なことなのでもう一度いう。

私が飛行機の訓練をしている目的は、うまく飛ぶため、ではない。

安全に、時間通りに、ソフトな操作で、なるべく燃料を節約してお客さんをA地点からB地点に送り届けること。つまり路線バスの運転手さんとまったく同じだ。バスと違って上下にも動き、スピードも出るので考えることが多少増えるというだけだ。そもそも、ラインは路線という意味だし、A320を作っている会社の名前はエアバス社という。

私の目指す仕事は、空のバスの運転手です。
     2012.02.02 Thursday
先日、ランディング時のTH(滑走路端)からTDP(接地点)までの水平距離(Sa)を求める公式を教えてもらった。

Sa=S1+S2=ht/r+rV^2/2g(n-1)

どれがなんなのかは、本日の論点に必要のないことなので割愛する。わたしは、この数式を教えてもらって、その意味を理解しようと考えていた。わからないことが出てきて、考えて、府に落ちずに、また考えた。で、たどり着いた結論は。


「いくら数式でパスを求めたって、GO NOGOの判断まで持っていけなければただの机上の空論なのだろうなぁ。」

と。

基準を知っているというのは、もちろん大切な事だ。どんなパスを描いて地上に降りるべきなのか、目指すべきところを知っていて、それを目指してコントロールするパイロットと、闇雲に操縦桿とスロットルを動かすパイロットでは、もはや別の職業といって良いとおもう。


幾何学的に求めたパスと接地点というのはあくまでパイロットが目安として持っておく参考データだ。だいたい、離着陸の距離なんていうのは、チェロキーで言えばP-chartという公式な書類(厳密にはこれはCASO4という古い形式で、新しい飛行機はまた違うやりかたなのだが)で求めたものしか使えない。パスの研究なんてのは私にとっては面白いので、ついはまってしまうが、気を付けねばならぬ。

そういう参考にしかならないものに没頭するより大切な事は、どんな時もGOとNOGOを判断できる基準を持つこと。計算していることで満足していてはいけない。パイロットは学者ではなく、運航責任者であるからだ。気象学をいくら勉強しても、直ぐ目の前に見える雲にどう対処するのか。上に行くのか横に行くのか。どっちでもいいけどそれぞれの場合で気をつけることは何か。勉強するときは、今の知識が「GOとNOGOの判断」に活かされるときはいつだろう、と常に想像しながらやるべきだ。

ランディング・マニアックス
NZでは、数式でランディングのパスを求めるなんてことはしなかった。でも、実はNZで習ったことをしっかりと復習して自分のものにすることが、正しい努力なのではないだろうか。着陸に限れば、NZではノーマル、ショートフィールド、フラップレス(orパーシャルフラップ)と3種類の方法を習った。

さて、前述の数式が意味するところを翻訳すると、
・アプローチパスから円弧を描いてランディングパスにして、
・その円弧が滑走路と接した所が接地点だ。

ということになる。まてよ、よく考えたらこれはただのノーマルランディングの「Round out」と「Hold off」じゃないか。

・正しいパスを正しいスピードでやってきた飛行機が、滑走路端でパスを丸めて(Round out)
・着陸の姿勢のまま滑走路のすれすれを水平飛行して足が着くのを待つ(Hold off)。


考え方はどっちでもいいのだ。重要なのは、Go/NoGoの判断をしやすくなるようにコンセプトをつくること。それを、ただ計算しただけでなにか高尚なことをやった気分になってはいけない。表現が違うだけで、どちらも同じ事を言っているのだから。では、ここで、Go/Nogoの基準を作るというコンセプトにそって知識を当てはめたらどうなるだろうか。

着陸時のGo/NoGoといえば、Go Around(着陸のやり直し)だ。スタビライズドアプローチといって、旅客機はファイナルのある基準点までに一定の速度と降下率と姿勢になっていなければ、Go Aroundする。つまり、

・基準1.滑走路端でRound Outに移行する条件(正しいパスと正しいスピード)が確率しているか否か。

もう一つは、狙ったところに接地させられないとき。滑走路が足りなくなってしまってはいけないからだ。スタビライズドアプローチ(正しいパスと正しいスピード)でやってきた飛行機は、滑走路の端っこを決められた高度と速度で通過するはずだから、そこからの操作を毎回同じにすれば、同じ所に足がつくはず。具体的には、Round Outで3度ピッチを上げて着陸の姿勢にし、Hold OFF、降下率がいつもどおり(VSIをあわせていくには、パワーを使うだろう。つまり、パワーだけは日によって違う。)であれば、多少の風の変動があっても、決められた範囲に脚はつく「はず」。すべての状態がいつもどおりなのに、いつまでもいつまでも脚がつかない??それはものすごいTAIL(追い風)が入っているということだから、Go Aroundだ。

・基準2.Hold offを続けるか否か。

実際には、基準2.までいってGo Aroundしたら、読みが甘いことになるだろう。TAILが入っているかどうかなんてのは、もっと早くわかるだろうから。でも、知識を判断に利用するというコンセプトとしては正しいと思う。

狙ったところは狙いに行くのではなく、仮説をぶつけて結果を待つのだ。やり直すのはどこかを決めるのに、知識を使えばいい。










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プロフィール
2010パイロット訓練
2013インストラクター
2018エアライン

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2018年9月から、note.comに移行しました。
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