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     2012.10.30 Tuesday
この記事で紹介した本を早速一冊読んだ。アマゾンと図書館[1]を活用して集めている。今回読んだのはこれ。



立花 隆氏と佐藤 優氏の対談を通じてお互いのおすすめ本を「必読の教養書400冊」として紹介している。ブックリストから選んだ最初の本がブックリストとなってしまい、かえって読む本が増えてしまったんだから世話はない。お二人の読書量は半端ではない。私も本は好きで少しは読む方だと思っていたけど、本当のインテリというのがどれほどのものか思い知らされた。世の中の知の深淵というものに、自分がこれっぽっちも触れていないということがわかった。そのショック療法を受けるだけでも本書を読む価値がある。もちろんブックリストとしても秀逸だ。

どんな本を薦めているかは本を読めばわかるので、ここではお二人が対談をしているところから、面白いなと思ったところを抜き出してみる。

グルジア語の動詞の活用
p.17
佐藤:グルジア語の動詞って一つがどれくらい変化すると思います?
立花:どのくらいかなあ・・・・・・。
佐藤:一万なんですよ。

日本語には漢字・ひらがな、カタカナと三つも文字があって、音と文字の意味が微妙にずれているため、この複雑な処理に対応するために脳が高次の進化を遂げる、日本語は脳にいい!という議論のあとに出てきたこの一言。もうグルジア語は脳にいいんだか悪いんだかわけがわからない。サ行変格活用みたいなのがそれぞれ1万段階変化するって言うんだから凄い。さしすするすれせよ・・・・・・・・・・・・

読書による疑似体験
佐藤氏は2002年に「鈴木宗男事件に絡む背任容疑」で逮捕されているが、そのときの経験から、罪を犯していないのに自白してしまう人の心情がわかると言っている。
p.129
私自身が捕まってよくわかりました。人間というのは環境に順応する力がすごく高いんです。中略 取調官と裁判所のあの閉鎖空間の中に入ってしまうと、やっぱり独自の世界観ができて、迎合してしまう。

保釈もされずにずーっといると、閉鎖空間の中で「優等生」になってしまうらしい。人がいい検事の取り調べを受けているうちに、その人が他の検事と競争していたりした場合、助けてあげたくなるのだそうだ。佐藤氏はそのことを「迎合する」と表現していた。ストックホルム症候群にも似ている。これに対抗するのに、たくさんの本を読んでいたことでぎりぎり踏みとどまることができたという。
p.130
あの檻の中で耐えられたのは、ソ連崩壊の時にいろんな人間模様を見た経験と読書による疑似体験、その二つがあったおかげです。中略 供述調書を見る。そうすると、カレル・チャペックの小説「山椒魚戦争」(岩波文庫)なんかが思い浮かんでくるんです。

まぁ檻の中に入るつもりはないが、コックピットというのも、もともと鳥かごという言う意味だし(そういえばこれはパイロットが書いているブログでしたね)閉鎖空間や時間的なプレッシャーで平常心を保つのに、小説やノンフィクションを読んでいろいろな人の人生をその本の数だけ「生きて」おけば、いざというときに「あ、これはあいつのあのときの状況に似ているな」なんていいながらどーんと構えられるかもしれない。そのときの主人公がどうやって切り抜けたのか、あるいはきりぬけられずに死んでしまったのか思い出せれば、その難局を乗り切るヒントになるはずだ。なにしろ、本番の人生では試しに失敗して死んでみる、ということができないのだから。[2] それが本を読む(=教養を身につける)ことの効用だ。

おすすめ
以下は、紹介されていた本の中で面白いなと思ったものの中のさらにその一部である。笑 他にももっとたくさんあるのだが、興味がある人は読んでみてください。

p.79
14 『問題集』
アリストテレス 岩波書店
一般にはほとんど無視されている著作であるが、「小便は時間が経つとより臭くなるが、糞が臭くなくなるのはなぜか」等という命題にアリストテレスが大まじめに取り組んでいる。

p.94
66 『セメント樽の中の手紙』角川文庫 葉山嘉樹
建設現場で働く労働者がセメント樽をあけると木箱が入っていた。その中には、女性労働者から、恋人の労働者が機械に巻き込まれてこのセメントになっているので、どこで使われているか教えてほしいという内容の手紙が入っていた。

p. 99
『塩狩峠』
三浦綾子 新潮文庫
結婚を直前に控えながらも、乗り合わせた列車のブレーキ故障に遭遇し、乗客の命を救うために身を車輪の下に投げ出す主人公。

p.103
『東方見聞録』
マルコ・ポーロ 平凡社ライブラリー
マルコ・ポーロが『東方見聞録』で「チパング島は黄金の国である」と書いたことは有名だ。それならば証人であるマルコがなぜ日本に渡らなかったのかという質問がでてくる。中略「日本人は人食い人種である」からだ。


古いけど読むべき小説やノンフィクションというのはまだまだ知らないところにあるんだなと思った。プロレタリア文学として少し前にちょっとだけはやった小林多喜二の『蟹工船』よりも、葉山嘉樹を強烈に推していた。蟹工船は葉山の『海に生くる人々』のパクリとまで言っている。それにしてもアリストテレス。。。そしてマルコさんはなにをみたんだろうか。。。日本にいるうちに本を読んでおかねば。POFもやらねば。。



1. 最近の図書館はすごい。最寄りの図書館だったんだけど結構新しいものがある。インターネットで予約をすると、その図書館にないものでも周りのところにあるやつを探してもってきてE-mailで知らせてくれる。アマゾンもいいが図書館もいいぞ。(ちなみに先日の記事でなにげなく入れてあった米欧回覧実記というのも図書館にあったのだが、一般の棚ではなく、書庫というところから出てきて、なんとそれは岩倉使節団の実際の見聞録だった。(みんな知ってるんですか)当然カナ表記。驚くのは底に入っている挿絵。かなりの枚数の風景画だが、外国の風景を写真のように精密にとらえていてそれをみるだけでも面白い。)


2. そうすると、パイロットに必須の教養は過去の事故を体系的に身につけることだろう。なんで「航空事故史」を免許を取る必修科目にしていないんだろう。
     2012.10.30 Tuesday
ジクアスという目薬を知っているだろうか。



先日、NHKの試してガッテンでやっていた、ドライアイ用の目薬。既にいろいろなブログなどで紹介されているので[1]ここではあまり詳しくは書かないけど、かいつまんで話すと、

・ドライアイを改善する薬であること
・それまでのヒアルロン酸の目薬と違い、ムチンという眼球から元々分泌される物質の分泌を促進する薬であること。
・ドライアイの人の中にはムチンの分泌が不足している人がいて、これがないと涙や目薬などで潤いを与えても、それがスムースな膜を作れないため乾きが早く、涙の膜の表面がでこぼこになるので時間とともに視力が落ちてしまう。

ということらしい。翻訳という仕事柄一日中PCの画面を見ているため、目が乾きがちだなと思っていた。パイロットなので目は大切にしないといかん。[2]市販薬ではなく、眼科で処方してもらう必要があるとのことで、早速眼科に「最近目が乾きます」と言って突っ込んでいった。もちろんジクアスがあるかどうかを確認してだ。

ちなみに「ジクアス」というのは商品名で、番組ではその成分名である「ジクアホソル」という名前で紹介していたため、最初は「そういう薬はありません」と言われた。2つ目の眼科で「ジクアスのことですね?」と確認されて、初めてこの薬が「ジクアス」という品名であることを知った。番組では「レバミピド」というもう一つの薬も紹介していた。今のところ両方とも日本でしか認可がおりていないらしい。

使ってみた感じは、、、今のところいい感じ、のような気がする。今もこうして文字を打っていてなんだか目の乾きが改善されているような気がする。眼科医によると、効果には個人差があり(そもそもムチン不足のドライアイかそうでないドライアイかで効果は全く違うのだし)一定期間やり続けないと判定できないようだ。

保険適用で500円だそうだ。ついでにコンタクト用の目薬も数本出してもらった。こちらは保険適用で150円/本。市販薬より断然安い。





1.「ためしてガッテン ジクアス」でググるとたくさんでてきます。
2. 先日買ったZoffのPCメガネもいい仕事してます。
     2012.10.27 Saturday
日本語が出来ない日本人に、ちゃんとした英語が出来るわけない?

そんなことないよ、帰国子女は日本語苦手だけど英語できる人はいっぱいいるじゃないか!私もそう思っていた。昨日なにげなく手に取ったこの本で少し考えが変わった。



この本で著者は、日本人のほとんどに英語は必要ないのだと喝破する。書き方がすこし過激なのでレビューをみても賛否両論、だが肯定的な意見が多い。著者の主張を一言で表すと

実のある話ができないやつが、いくら英語を覚えたって意味はない。[1]

ということだろう。レビューで否定的な意見を書いている人が感じたような、細かい矛盾点は私も感じたが、上記の主旨には賛成だ。

英語よりも優先すべきこと
著者は勉強の優先順位の話をしたいのだろう。「英語は必要ない」は、「実のある話が出来ないならば」というエクスキューズがついている。ということは仮に日本人の全員が「実のある話ができる」ならば日本人全員が英語を身につけるべき、という結論にもなりうる。前提条件がクリアされれば、やっぱり英語はできたほうがいいのだ。そのことは、最終章が「英語の身につけ方」みたいな内容になっていることでもわかる。でも、筆者によると今のところそうでない日本人が9割だから[2]、まずはそっちをやるべきだと言いたいのではないだろうか。語学取得は時間がかかるし大変[3]だからこそ、無目的に英語の勉強に突き進むことで失う他の何か、その機会損失をうたっているのだ。

「その他の何か」は人によって違うだろう。今の私だったら、ニュージーランドで仕事を取るという直近の目的があるので、かなり「英語が必要な状態」にあるのだとおもう。そこでいきなり英語!と息巻いて「なんちゃら日常英会話集」みたいな本を買ってそこにある表現をぜーんぶ(網羅的に)覚える、というアプローチをするのか、仕事を取る為に言いたいこと、聞き逃したら致命的になること、読んでおかないと話題についていけなくなる本、CV(履歴書)やカバーレターに書きたいこと。そういうことにしぼって表現を身につけていくのか。どっちがいいだろうか。

じっと本を読む
著者は、そういう「ちゃんとした話のネタ=教養」を身につけない人が英語をしゃべってもしょうがないというスタンスのもと、楽天やユニクロのように社員に無目的に英語を押し付ける会社や、英語以外の科目を英語で教えようとする学校を批判[4]し、中高生がじっと本を読めないこと、大学生が最も読んでいる本は漫画[5]であることを指摘する。その上で、読書で「話すネタ」を増やすことが効率的だとし、著者の「おすすめ本」を紹介していた。(下記参照)そこまでいうなら、ということで、アマゾンで買って読んでみることにした。[6]


           

たしかに何も言いたいことがないのに言葉が上手くなるはずもなし。水圧がないパイプラインの蛇口のデザインを考えるようなものだ。いくらいいデザインができても、きれいな水が出てこなければ誰も見向きもしないのだ。




1. この話でいくと英語がしゃべれてもちゃんと着陸できないパイロットはだめだ、って(当たり前だ)ことになるが、それをもってじゃぁ、英語をやらなくてもいいんだ!てことにはならない気がする。飛んでる場所にもよるのだろう、私には間違いなく必要だが、日本で飛んでいる人はどのくらい必要性を感じているんだろうか。

2. ずいぶん乱暴だけどまぁここは目をつぶってそうだとしよう。

3. 裏を返せば、普段の生活の中に無理なく続けられる環境が構築できれば問題ない訳だ。そういう意味では、こんなアプローチもいいかもしれない。

4. こういう状況は、英語による日本語の侵略だと断じていた。インド人は英語で学問をやるから英語をしゃべれるようになるが、我々が学問を日本語でやることはすごいことだという。科学技術や文化を英語以外のローカルな現地語でできるということは、インド人もびっくりなのである。

5. 個人的に日本の漫画はバカに出来ないとおもう。NARUTOやONE PIECEを知っているやつはたくさんいた。それだって共通の話題だってことになる。おもしろいしね。でもそれと同時に万葉集やドストエフスキーを読んでいることも重要か。

6. 上記の本のそれぞれをアマゾンで見てみると、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」というところに自動的に上記のそれ以外の本が表示されてびっくりした。内容に関連はないのに。同じことを考えて「おすすめ本」大人買いした人がたくさんいるってことか。




     2012.10.26 Friday
前回のつづき。

んでまぁいろいろあって(雑ですみません)立ち直った深キョン管制官が勉強の成果をみせて、また飛行機をさばき出すわけですが。終盤にもう一転する。悪天候の羽田に片方のエンジンが止まった外国の旅客機が燃料が少ない状態でダイバート(目的地外の空港に着陸すること)してくるというのだ。なんとか着陸態勢に入るダイバート機。ところが悪いことに風と雨が強まってきた。深キョンはここで、

「ダウンバーストが接近しています、ゴーアラウンドさせてRWY34Lに誘導します!」

という賭けに出る。

ダウンバーストを予想したのは伏線があって、前回のミスの後、いろいろな現場を回って「努力」をした。鳥を追い払う裏方の人たちに突撃取材し、鳥が低く飛ぶときは天気が崩れるという観天望気を伝授されるのだ。同僚の気づかないところで努力したことで獲得した「武器」で誰よりも早く天候の変化に気づく深キョン。先輩の反対を押し切って外国機にゴーアラウンドを指示、ショートファイナル(着陸寸前)で見事に風は止んだ。0kt、無風だ。予想は見事に的中!というようなハッピーエンドだったのだが果たして。

ショートファイナルでいきなり0kt??
ショートファイナル(着陸の最終局面)で風がいきなり無風になるのは好ましいことではない。それまで向かい風に乗って飛んでいた飛行機が無風状態の空間に突入したら、突然つっかえ棒が取り払われたように前のめりになってしまう。具体的には、揚力が減って飛行機が沈む。地面が近いショートファイナルでこれは起こってほしくない。ドラマの状況ではガスト(風向風速の定まらない突風)が吹いていたので、それよりは無風の方がいいのでは?と思うかもしれないが、そうとも限らない。それは「ダウンバースト」を話題にしていたからだ。

ダウンバーストの恐怖
ダウンバーストというのは、積乱雲からの吹き下ろされる強風のことだ。積乱雲は寿命が短く、垂直方向に大きく、急激に発達・消散する。空高く持ち上がった湿り気のエネルギーがいっぺんに雨となって地面に降り注ぐ。その際、上空の冷えた空気が上から落ちる氷や雨に引きずられて落ちてくる。落下の途中で氷や雨が蒸発すれば気化熱で周辺の空気を冷やし、冷えて重くなった空気はさらに加速し、、、と続いて地面に達する頃には急激な下降気流となる。夕立の前にひんやりとした風が吹いた後に雨がざっと降るのはこのためだ。あれは下降気流が地面に当たった後、横に向かって広がっていくときの風。風の広がりの先頭をガストフロントなんて言う。ちょっと絵を描いてみた。[1]



この絵をよく見るとわかるのだが[2]、ダウンバーストを発生させる積乱雲の直下を飛行機が飛行した場合、最初は向かい風だ。そしてある時点で無風(上からの下降気流のみとなり横の成分がなくなる)になり、最後には追い風に変わる。これがダウンバーストの恐怖で、急激に風向きが逆方向になり、つっかい棒がはずれるどころか後ろから押されて飛行機が急激に沈む。この現象が解明されるまでには時間がかかったらしく、事故もよく起きたようだ。最近ではドップラーレーダーなる積乱雲を詳細に追跡できるレーダーが設置されている空港もあり(羽田にはあるだろう)かなり正確に予想できるようになったようだが。。

ショートファイナルで無風ということはまさしく向かい風から追い風に変わるところ、下降気流に叩き付けられる瞬間だったとも解釈できる。燃料欠乏の片肺の飛行機に乗っているパイロットとしてはあまりうれしい状態じゃない。

ダウンバーストの「可能性」でゴーアラウンド?
深キョンはダウンバーストが吹く「可能性があるから」ゴーアラウンドと言っていたが、私はここで思ったのは


「ダウンバーストの可能性があるからといって管制官がパイロットにゴーアラウンドを指示する権限はあるんだっけ?」

ということだった。そこで、Facebookにそのまま疑問を流してみた。だれか反応するかな。[2]




同期のRyoが反応してくれた。この後、ラインで飛んでる先輩もそういう話は聞いたことがないと言っていた。やっぱ最後の最後は機長に任せるという方針なんだろう。自分が飛んでいるとしてもそう思うだろう。




1. このためにホワイトボード買ってきた。日本の100均ってすごい。

2. わかるだろうか?

3. 最近仕事(翻訳)で真面目に業務改善案を出したりして「めんどくさいこというキャラ」になっている身としては反応してくれる人がいてうれしかった。(笑)日本の会社では空気を壊してでも何かをやり遂げようとか改善しようとかすると得てして煙たがられる。早く100%の力で打ち返せるヒコーキの世界にもどりたい。
     2012.10.15 Monday
TOKYOエアポートというドラマを見た。毎週日曜日だそうだ。前作はTokyoコントロールといって、DVDが出ている。




とても面白いドラマだった。深田恭子主演。設備や機材ももちろん本物で、見たことがないものを見せてもらってありがたい。羽田のタワーの中は初めて見た。クライストチャーチのタワーの中にははいったことがあったが、何となく似ていた。管制官が使うSIMも初めて見た。これやりたくなった。



ドラマを見ていて、突っ込みたくなるところもあった。これはいい勉強の機会と捉えた。実際あれ?これってそうだっけ?どうだっけ?と思って教科書を開いたような場面もあって、そういう意味でも面白かった。以下、紹介してみたい。念のため断っておくけど「へへーんそれって本物とはちがうんじゃないのー」と後出しじゃんけんのように難癖をつける意図はない。当然第一話のネタバレになるので、まだ見ていない人は気をつけてください。では制作側への敬意を込めて。。






いいですか?





キャンディーバー
さて。まずは、つっこみというより「意外」だったこと。この記事にも書いた、「ストリップ」をまだ使っているんだ、ということ。ストリップというのは、それぞれのフライトプラン(1便ごとの飛行計画)の情報が書き込まれるキャンディーバーのようなプラスティックの板。下記は記入前のもの。



管制はタワー(飛行機の離発着許可を出す)、デリバリー(飛行場内の飛行機の動きを管理)、コントロール(空港上空への飛行機の出入りを管理)等、いろいろな部署が連携している。間違いがないように、ストリップに各フライトの情報を一元化してあらかじめ決められた順序とルールに乗っ取って確実に情報をやりとりする。ストリップを受け渡すことが、すなわち担当の責任を受け渡すということだ。クライストチャーチではこのストリップを全て電子化していたのに、飛行機が遥かに多い羽田で手書きのストリップというのが面白かった。




ミスる深キョン
中盤、主人公の篠田(深田)がミスを犯す場面があった。先輩管制官の竹内(瀬戸朝香)のサポートのもと、そつなく飛行機をさばいていたのだが、竹内が違う同僚と話をしに一瞬場所を外した。その間に、滑走路脇での待機を指示したChina air (だったかな)の飛行機が滑走路へ誤進入したのだ。[1]

その滑走路には違う飛行機がアプローチ中だった。正確にどう言ったかちょっと忘れてしまったが、「China air, hold short of RWY 34R」という主旨の深キョン管制官の指示に対し、誤進入したパイロットは「Rojer」と答えた。正直、竹内が席を外した時点でなんか起こる空気があったが、「Rojer」の時点で「あ、誤進入するな」とわかった。

航空無線では、相互の意思の齟齬を最小限にするためにリードバック項目というのが決められている。滑走路の名前や離発着のクリアランス、ホールドする場所の位置など、間違えたら直接事故につながる情報は、管制官の指示に対しパイロットが復唱をする決まりになっている。もし間違って伝わってしまっていても、リードバックさえすればそれを発見し、訂正することが出来る。滑走路の脇で待機せよ、という指示に対して「Rojer(了解)」と答えるパイロットはいない。クリティカルな場面で不適切な表現が出てきたので、ピンときたのだ。


日本語の使い方
竹内が異常に気づき、アプローチ中のパイロットにゴーアラウンド(着陸復航)を指示した。その際、竹内は日本語を使用し「●◎便、すぐにゴーアラウンドしてください!滑走路に飛行機が誤進入しています!」と指示していた。日本の管制では、緊急時に日本語で交信することが認められている。こんな風に運用されているのかーと思った。

私は日本の管制をほとんど聞いたことがない。以前北海道の学校に見学に行ったとき、函館タワーの管制を聞いたことがあるのみだ。だから、あの状況で実際に日本語が使われるのかどうか本当のところはよくわからない。日本で飛んでいる飛行機の多数が日本人パイロットによる(はず?)と考えれば難しいところだが、個人的には安易に日本語に頼るのは良くないと思う。周りの外国人パイロットとの調整がとれないし、緊急事態に陥るパイロットが日本人とは限らない。大変だけど、がんばって一本化するべきだと思う。上記の例では「●◎, GO AROUND due to runway incursion.」で済む。[2]


怒られる深キョン
誤進入した飛行機とゴーアラウンドした飛行機が間一髪で(これも誇張が入っていたが。時間的には余裕があったからあんなに接近することは考えられない。)衝突を回避し、重大インシデントとなったのか篠田と竹内ら直属の上司たちがどっか暗い部屋に呼び出されて、現場にいない上司に怒られる場面があった。私は、管制官はこんな風に怒られてはいけない。と思った。

脚本として「聞き分けの悪い保身第一のキャリアに理不尽な叱責を受ける現場」というわかりやすい構図を見せたかったのかもしれないが、事故やインシデントが起きたときに現実の管制官やパイロットがあんな風に怒られることがないと信じたい。ああいうのは百害あって一理なしだ。ミスを犯す前提で、小さなエラーが起こってもそれを収束させるようなシステムを作ることが大切なのであって、ミスを犯した個人を叱責して、「次は気をつけます」と管制官やパイロットに言わせた瞬間に将来のもっと重大な事故へのカウントダウンが始まるのだ。

ここだけはドラマティックにするための脚本上の演出であるのか、取材の結果あんなことがあるのかわからなかった。実際の管制官がミスを犯した場合にどんなふうに対応されるのか、興味が有る。


終盤またひともりあがりあるのだが、長くなるので次回に持ち越し。

ちなみにこの番組、前作のTokyo Controlとストーリーや出演者に関係があるような雰囲気だった。100%3Dカメラで録られているらしくちょっと見たくなってる。。。








[1] ちゃんとリードバックを要求しなかったという点で管制官のミスでもあるが、あそこでRojerと言い放って進入するパイロットもゴーアラウンドを指示されたのに直ちにフルパワーにしないアプローチ機にも問題あるんじゃ、、、とおもったけどテレビです、わかってます。

[2] そうはいっても、仮に今の私が今の英語力で日本で飛んでてクリティカルになったら日本語になるんだろうな。。。もっと英語がんばらねば。
     2012.10.14 Sunday
何を検索していたのか忘れたが、翻訳中に何かの言葉を検索しているうちに面白いブログを発見した。

→ quipped

筆者の@__kiyoto__さんは、14歳から米国に暮らし、大学を卒業して今はスタートアップでプログラマーをされているように思うのだが何をされているのかは正直よくわからない。(すみません。。)

木を見て森を見ず?
面白い記事はたくさんある。例えば、NO科学者[1]の茂木健一郎さんをばっさり斬った話ではアメリカの大学と日本の大学におけるある違いについて(そして主に後者の劣等性について)茂木さんが語ったことを批判したもの。事実の正誤はさておき、この記事を見て、まるでゲリラ兵士のような戦い方をするなとおもった。嫌いではない。

これができるのは、ご自身が米国の大学で勉強していたという経験、つまり一次情報があるからだろう。つまり、偉い(偉そうな?)人が発する「そういう経験を持っていないその他大勢」向けにわかりやすく一般化された話というのは「わかりやすく」するために細部を省いたり、自論の展開に沿うようにある一面をことさら強調することがある。そういう意見は「例外」とされた現場から見ると的外れでデタラメに見えるはず。そこを生の体験(=一次情報)という斬鉄剣でばっさりやっている。

茂木さんには「木を見て森を見ず」なんて批判[2]されていたけど、莫大な数のフォロワーを持つ有名人にリツイートされて@__kiyoto__さんが獲得したものと、茂木さんが受けたダメージを比べると、本当に森を見ていたのはどっちだろうという気になる。[3]

英語は10年たっても難しい
10年という短期間で英語をマスターする方法も秀逸。何しろ、「10年という短期間」である。どれだけの人が、語学をマスターするのに10年を短期間ととらえているだろうか。私はたった1年ニュージーランドに留学していただけだが、その実感からすると確かに、読み書き聞き話しを10年でマスターできたらすごいと思う。何回か書いてきたけど、だからこそ「さて英語やるぞ!」と気合いを入れなくても、歯を磨くのと同じように生活の中に組み込んでいく工夫が必要だと思う。あっとおもったのは、

英語でひたすら独り言!ふざけるなと思うかもしれないが、これは実に効果的な練習方法だ。雑誌や本を音読するのもいいし、演説の一部をひたすら繰り返すのもいい。ぼくが昔よくやっていたのは、インタビューされたふりをして、自分の意見を声に出して言ってみるというやつだ。とにかく声に出してみることで、話すという物理的な行為と、思うという抽象的な行為を結びつけることができる。


というところ。これ実は私も最近やっていて、風呂場でひとり「教官になってこうきかれたらこう答えよう」みたいな想定でぶつぶつやっている。私は酒が入ったときか風呂場が一番自然に英語が出てくるのでこうなっているが、欠点はメモが取れないのであとで思い出せないということか。でも数をやっているうちにそのうち頭に叩き込まれるだろう。多分。


自分が考えることを「選ぶ」
David Foster Wallaceが05年にKenyon大学でしたスピーチの翻訳もいい。ジョブズのスタンフォード大のスピーチは有名だし、このブログでも何回か紹介したことがあるが、同年になされたというこのスピーチは知らなかったし、確かにスバラしい。

スピーチ音声: 前半 後半 と 原稿

中盤、スーパーマーケットで悪態をつくところなんかは凄く現実的で、社会人として毎日電車に揺られている身からすると大変リアリティのあるお話だ。自分に置き換えてみる。駅で平気でぶつかってくるおっさん、電車の中で無遠慮なトーンで先生や友達や親への悪態をつく女子高生、椅子取りゲームのように優先席に突進するおばさん。。。そういう人たちを見て、半ば自動的に毒々しい感情が立ち上がる。

「この馬鹿野郎どもが。」

何も意識しなければ、人間は自然とこういう「Default setting」に心が固定される仕組みになっている。世界は自分中心なのだから。空間や時間は自分の前後左右上下に展開しているのだから。無理はない話だ。でもそれはあまりに自動的で無自覚だ。つまり「反応」だ。

自分が何を思うかという事は「選択」できる。同じ光景を見ても、おっさんはどうしてもトイレに行きたかったのかもしれないし、悪態をつく女子高生はクラス中にいじめられてる友人の担任が何もしてくれないことを批判しているのかもしれないし、おばさんは実は骨粗しょう症で、でも見た目からはわからないために優先席ですら譲ってくれる人がいないのかもしれない。

そんなこと、ないかもしれないが、あるかもしれない。どっちも正解。それが考えることを選べるという自由。




1. 脳科学者と書くべきか迷ったが、引用もとにならってそのままにした。ちなみにこうやって注釈をつけるやり方、かっこいいのでパクらせてもらった。
2. 「論点ずれてる」とも。リンクにある茂木さんのツイッターに寄せられているいろいろな人のコメントも「ポイントはそこじゃない!」という意見と「立脚点の事実関係に致命的な誤解がある」という意見がある。「目の前にある土俵で相撲しろ!」というのと「ふかふかの砂でできた土俵の上で相撲なんか取れるか!」というのとでは正誤の決めようがない。土俵を作り直そうとしなかったという意味で、茂木さんの火消しも見事か。
3. 多くの人に自分の記事が読まれるというのはいいことかもしれないけど、それなりにリスクもある。下手なことを書いてそれに「反応」する人たちに実害のある攻撃を受ける危険が増える。私にはまだ怖くてそこまで踏み込めない。斬鉄剣は諸刃なのかも。
     2012.10.06 Saturday
この記事で書いたビデオの続きがアップされた。

前回メールアドレスを登録しておいたので、届いたメールのリンクをクリックするとVol.2のビデオがすぐに再生できた。今回はビジネスマンを例を挙げていて、お客さんに挨拶するとき、社長にプレゼンするとき、家に帰る途中、風呂に入っているとき、など生活の全ての場面での心理状態について話していた。

ご機嫌か不機嫌か
1日の中で、ご機嫌と不機嫌、どちらの心理状態により浸かっているのがいいか。そりゃぁご機嫌な方がいいに決まっている。でも、実際日々の自分はどうだろうか。1日のあらゆる場面でご機嫌だろうか。

良い心理状態が長く続くと、それは身体の健康とパフォーマンスの向上というアウトプットにつながる。言われてみればそうかも知れない。けがなどでコンディションが悪いサッカー選手はいいプレーはできない。健康があって初めていいパフォーマンスになるわけだが、ことビジネスマンは、何をしなければいけないか、とパフォーマンスだけを考える。それどころか、元気はパフォーマンスとトレードオフになっていると考える傾向すらある。元気を使ってすり切れるまで働くか、仕事をそこそこにして元気を貯金するか。

同僚の話
ここで私は、1日有給休暇をもらうのに凄ーく申し訳なさそうに朝礼で話を切り出す同僚のことを思い出した。彼は昔気質で、いつだったか「みんなが働いているのに定時で帰るというようなことに凄く罪悪感を感じる」と言っていた。私はばんばん帰っているけども。(私も前の会社では職場がそういう雰囲気だったので気持ちはわかる)賛成は出来ない。彼とはいつも昼食をともにするのだが、そういうことについてよく議論する。お互い全く価値観が違うということをよくわかっているのでけんかにはならない。

人がどんな風に仕事に向き合うかについては、いろいろな考えがあっていいと思う。基本的に私の同僚は、元気の貯金を使い切ることは義務だと考えている。そんな風には言わないけど、わかりやすく誇張すればそうなるだろう。私は、元気を擦り切らすことでいいアウトプットを出すことは出来ないと思うし、大人になったら、ご機嫌でいるのは自分の責任だと思っている。メーワクだからだ。でも確かに、元気がなくなるまで働いたらご機嫌でいることなんてできないだろう。
(そういう私も今週はRed Bullという切り札を2日間も使ったのだが、、、笑)

 「翼を授ける。。」


ビデオでは、これは両立できる、と説いている。性格によるんじゃないの、というかもしれない。外の状況に心を決められているうちはそうだろう。でも、それを自分の内側から選び取っていくような方法があるとしたら。私もそう思う。気分は自分で決められると思う。そういうことを話し言葉で改めて説明している、というのがこのビデオのいいところなのかもしれない。少なくともRed Bullには頼らない方法だし。。
     2012.10.04 Thursday
本編は、今年4月18日に書いた揚力の発生原因について書いた記事を書き直したものだ。当時は結論が出ていなかったが、少し理解が深まったので、懲りずに加筆修正して再掲する。私も勉強中の身である。間違っているところが合ったら、ご指摘を。まずは前回の記事を引用した上で、加筆部分を下にまとめた。引用部は長いので読まなくてもいいかも。(っていうかこれ誰が読むんだろう。。。笑)


[前回の記事:一部修正ここから]

大昔の人の、飛ぶことに対する変態級の情熱!
先日書いた揚力の話について、コメント欄で「大学で流体力学を学び、今はエアラインで飛んでいる」と言われる方から再度勉強し直した方が良いとの批判を頂戴した。おかげで金曜の夜から週末まで、本を読んだりネット上の文献にあたったりと全部流体力学でつぶれてしまったぜ、ちきしょー!私の休みはどこに、、、orz

いいことがなかったわけではない。それは、たくさん勉強したので知らなかったことを知ることができたのと、この素晴らしいサイトにたどり着くことができたということだ。ブログに受けた批判への悔しさから、自分でまいた種だと始めた勉強だったが、その種はすばらしい機会をもたらしてくれた。揚力発生の根本原理への理解が深まったことと、上記のサイトで大昔の人たちの、空を飛ぶ機械をつくるんだ!という変態的な情熱を目の当たりにしたことだ。ということで、以降は興味のある人だけお付き合いを。

さて、

先日の私の記事に対する批判は、飛行機が翼で発生する渦(これは翼の上部の気流を加速させるようにはたらく)の中にいることで飛んでいる、という記述に対し、「翼の上の気体の速度は関係ありませんよ、むしろ翼の上面の圧力と翼の下面の圧力(動圧)の差だけです。基本中の基本、流線曲率の定理(併せてコアンダ効果も)から再度勉強し直した方が良いと思います。」というものだった。なるほど確かに基本中の基本は大事である。ということで、まずは流体力学の教科書を開いた。いつも立ち寄る本屋にあったのは、これだった。



・・・私が書いたことは、そんなに間違っていないんじゃないかと思った。この記事の一番下に教科書に書いてあったことを要約してみたので、興味があれば参照していただきたい。まぁ読んでいる人の大半がいやになるだろうから、記事とは分離した。色々と文献を読みあさり、さらに流体力学の教科書を読み、インターネットにも当たったところ、揚力の発生原理に関しては、いろいろな方向から議論している状況を知った。下記は一例である。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1320497048

http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4910579.html

揚力:ウィキペディア


要点をまとめてみると、

・べルヌーイの定理を揚力の説明に適用するのはありかなしか。

・翼によって空気が受けた運動量の変化の反作用と考えられるか。

・揚力は、循環の結果と考えるか。

・揚力は、流線曲率の定理とコアンダ効果によるものか。

という感じ。

ベルヌーイの定理を揚力の説明に適用するのが正しいかどうかは、ベルヌーイの定理が完全流体を前提にしているのに、圧縮生流体である空気に適用するのはおかしいという人もいれば、実在流体に対応する「一般化した」ベルヌーイの定理だってあるぞ、というような意見も。



↑この本のように、実際は空気や水でも十分完全流体を前提としたベルヌーイの定理が適用できるという文献もある。(2500円もしたぞ!)

また、流線曲率の定理については、私は知らなかったし、先ほどの教科書にも書かれていなかったが、以下の文献に記述があった。





なぜ翼に揚力が発生するか?-ベルヌーイの定理か流線曲率の定理か- 高木正平

流線曲率の定理のウィキペディアのページには、「ベルヌーイの定理は、回転するボールや翼形断面などのように流線が流れの中の対象物周りで分かれている場合の説明としては全く不適当」という立場から、揚力を流線曲率の定理で説明しているが、これに対する「ノート」という検証意見には、「翼やマグナス力の議論において、流れは「渦なし流れ」として議論されています。 渦なし流れにおけるベルヌーイの定理では、異なる流線上の2点に対して圧力比較が可能です。」と、翼の周りの圧力を考えるのに流線曲率の定理でも、一定の条件を満たせばベルヌーイの定理でも説明が可能という指摘がある。要は、色々な説明の仕方があるってことですかね。


ところで、David Andersonという人の「A Physical Description of Flight」(日本語訳さらにその要約
では、コアンダ効果によって曲げられた流体の運動量を揚力の発生の根本原理とする旨が書かれている。この人は、揚力を説明する為にベルヌーイの定理を用いることを否定して、その代わりにコアンダ効果を提唱したことで有名なようだ。ただし、これはその運動量が実際に必要な揚力に足りないということで、否定されていると聞いたがその「否定文献」を見つけることはできなかった。

さらにいうと(まだあんのか)渦理論を計算のための一時的な完全流体への置き換えと見ず、Diffusion(渦拡散)という考えで、実際に翼全体が渦に包まれていると主張する論文もあった。
THE COANDA EFFECT AND LIFT Terry Day

この論文では、コアンダ効果を一般の翼回りに発生する流れに適用するのは間違っているとある。コアンダ効果は、噴流(ノズルから吹き出すジェット)ではないと適用できないらしい。この論文はパラグラフごとのつながりがちょっとわかりづらく(私の英語力の不足もあろうが)結論の理解度は70%くらい。

金土日月と時間を潰してなんだかよくわからない。でもいつかわかるかなと文献のデータベースとしてこの記事を書いている。笑 そんなとき、例のサイトにたどり着いた

流体力学の教科書は、大昔の人が苦労して試行錯誤して積み上げて来たものを実験から得られたものと理論から導かれたものの区別なしに整然と並べたものだったので、章立てはよどみなく進むが、どこか唐突な気がして頭が渦を巻いていたが、こちらのサイトの並びは、先人たちの苦悩とワクワクが乱流のようにぐるぐると渦巻いていた。それをひとつひとつトレースしながら進むことによって、難しそうに見えた理論がスッと入ってきて、まるで台風の目の中に入ったようだった。

書いてよかった。

【教科書の要約】

私の解釈では、この本では以下のような流れで翼理論にたどり着いている。

まず流体の質量保存測とベルヌーイの定理により、同一流線上の流体にエネルギーの保存則が成り立つことを示す。

その後、定常流の中に置かれた物体とその周りを流れる流体の間に運動量の保存則が働くことが記される。

そして、完全流体から徐々に実在流体の性質である粘性や渦を考えるようになり、レイノルズ数が紹介される。

渦が出てきたところで循環の理論が始まる。ヘルムホルツという人の渦に関する法則を5つくらい列挙した後に、

渦を、それを囲む閉曲線周りに積分した循環という概念を持ち込み、完全流体に一度戻る。

完全流体に戻って重ね合わせの原理から揚力が発生している二次元円柱周りの流れを考える。(クッタ・ジューコフスキーの定理)

それと同じことが翼にも起こっているはずだ!!という想定の元で上記の円柱の理論を翼に応用する。

つまり、完全流体でのダランベールの背理をクッタの条件で粘性を持った実在流体の翼周りの流れに合わせて

その条件の下で円柱周りの揚力を計算できるようにする。ここまでで、揚力の解析的な記述が終わったことになる。

ではなぜ循環が発生するのかという問いに対しては、ヘルムホルツの法則の第一「渦は不生不滅」より、

翼の周りに発生する循環とは逆回りの渦が放出(出発渦)されるとし、

第二法則からその渦はつながっていなければならないこととなり、馬蹄渦となって、

私が書いた「飛行機は渦の中にいるから飛んでいるのだ。」という状態になる。

[前回の記事ここまで]


とまぁここまでが(なげーよ!)前回の内容だ。これでも修正して短くした方だ。このときは文献を読んでいろいろな説明があることがわかって吸収しきれずに結論まで出なかったが、半年間寝かせると知識も何かが変質するらしい。何となく結論が出た。正直、これパイロットとしてはやり過ぎなんじゃないのって。(笑)ここまでやらなくても飛行機は飛ばせる。でも、翼の形が揚力の源泉ではなく、それは仰角をつけた板だという点は知っておいた方がいい。背面飛行を説明するのに必要だから。ではいってみよう。


完全流体中に置かれた二次元円柱まわりの一様流と循環流を重ね合わせた状態(←クリックで図解)に揚力が発生することを説明するのは、ベルヌーイの定理だ。前述のWikipediaの「ノート」という検証意見にもあるように、流線曲率の定理はそのもう一つの見方に過ぎない。どっちの見方も出来る。ここでのポイントは、循環が所与だということだ。どうやって循環を作り出せるのかということを説明しているのではない。「もし」一様流と循環流を重ね合わせた状態を再現することができれば、その真ん中にある物体に揚力が生じますよ、というのを解析的に記述しているということだ。

そして、翼という機械要素がそれを実現したというのが重要だった。考える順番が逆だった。翼が定常流と見なせる空気中を仰角を持った状態で前進することで、それと同じ状態を作り出している(←クリックで図解)。何も回転していないのに、だ。ここがすごいところで、普通循環を作り出すには物体が回転して摩擦で周りの空気を引きずり回すことでやっと回転する流れを作ることが出来るはずなのに、それがどうだい、翼ときたらただ前にススムだけでそれを実現してしまうというのだ。ここが驚きポイントなのだ。

よく混同されるのは、翼の形がかまぼこのように上に凸の形をしているから、翼の上のほうが速く流れて、圧力が下がって、、、というふうに説明されるいわゆる「同着の原理」だ。ここにベルヌーイの定理を応用して揚力発生の根本原因として説明されることが多い。でも翼の形が生み出す程度の速度差が生み出す翼の上下の圧力差は、飛行機を浮かべるのには到底足りない。だから、同着の原理が間違いであることは間違いない(笑)が、それをもってベルヌーイの定理を否定するのは完全にお門違い。実際に翼の上下の流速を測定すると、上の方が遥かに速いらしい。つまり、翼がどうしてそんな速度差、ひいては圧力差を生み出すことができるのか、というのが論点なのであって、その答えが見つかった後はベルヌーイだろうが流線だろうがどっちでもいいのだ。

いただいた批判によると、その論点の結論が「基本中の基本」たる「コアンダ効果」ということらしいが、前述したとおり、私はその主張を裏付ける根拠を見つけることが出来なかった。コアンダ効果が「基本中の基本」かどうかは私にはよくわからないが、少なくとも私が読んだ流体力学の教科書の翼理論の説明には、そんなものはなかった。ということで、私はその教科書にそった理論を「基本中の基本」として現時点では理解することにした。

ちなみに前回の記事にも書いたこの本、パイロットやるなら流体力学の教科書よりこちらの方がいいかもしれない。この本はわかりやすい。循環のところも平易に説明されている。




これが今の私の理解。反論は歓迎します。
     2012.10.01 Monday
スポーツドクターの辻 秀一さんという方をご存知だろうか。「スラムダンク勝利学 (勝利学シリーズ)」という本を読んだことがあるのだが、メンタルについてすごく腑に落ちる考え方を提唱している。

公式サイトからの引用(下記枠内)
スポーツ心理学を日常生活に応用した応用スポーツ心理学をベースに、パフォーマンスを最適・最大化する心の状態「Flow」を生みだすための独自理論「辻メソッド」でメンタルトレーニングを展開している。エネルギー溢れる講演と実践しやすいメソッドで、一流スポーツ選手やトップビジネスパーソンに熱い支持を受けている。

この方が実際にメンタルとパフォーマンスについて話している動画を見て感じたこと。


パイロットとメンタル
パイロットに限らず、どんな人にだって「ここは絶対に落とせない!!」という人生の瞬間というものがあると思う。

どうしても入りたい会社の面接とか、映画のダンスのオーディションとか、レアメタルの仕入れ値を巡って外国人との交渉するとか、インターハイの決勝とか、好きな人に告白するとか。。。

うむ。

ただ、パイロットはそういうことがちょっとばかし頻繁に起こる。(好きな人に告ることが多いのではない。念為。)だいたい、免許を取るところからそう。学科試験、フライトテスト、試験に落ちたことは記録に残る、再受験には大金がかかる、試験官は隣でわめく、とプレッシャーのもとを挙げればきりがない。さらに、雇われてからもチェックが定期的にある。2回落ちたらクビだ。そんなことより実際の運航で決定的なミスをすればその代償は自分とクルーとお客さんの命だ。

でも、人間とは出来がいいのか悪いのか、その先に起こることを一瞬で想像してしまう。ちょっと頭の回転が早い人が一番厄介だ。何手か先が詰んでいる場面を想像して、恐怖に支配されてしまう。パイロットがこれをやるとまずい。(そりゃそうだ)そうならない為に、訓練している。無用な想像力が発動する前に、手が動く、目が動く、目の前の厄介ごとを一つ一つ片付けるために、頭がはたらく。実際、コクピットで直面する問題の大半は、順序を間違えずに落ち着いて対処すれば難しくない問題ばかりだ。

恐怖というのは、想像力だ
想像するから恐い。何か欲しい結果があって、それが手に入らないかもしれない、そうなったらもう自分ではその状況をどうしようもできない、と想像することが恐怖の正体。いざ問題に直面したら対応するしかない訳で、恐がっている時間などおそらくない。

また厄介なことに、恐怖は危険回避のために必要な感情である。無理矢理ねじ伏せればいいというものではない。恐いと感じないことは、鈍感なだけ。はじめから恐怖を感じない人というのは、実は一番パイロットになってはいけない。

また、想像するなというのが具体的なアドバイスになっていない。今からバナナのことを絶対に考えてはいけない、といわれたら真っ先に黄色いバナナが頭に浮かんでしまうのと同じように、想像しなけりゃ恐くない、と言われても、むしろ言われるからこそより強く想像してしまう。メンタルの弱さというのはつまり、不適切なときに不適切な想像力を発揮することであると言える。

じゃぁどうすんのさ
一歩踏み外したら一巻の終わり、みたいな状況で上手く行ったときというのはどういうときだっただろう。恐怖は感じるけどそれはとりあえず横に置いといて、目の前の作業に厳密に取り組んでやっているうちに結果が出る、という状態じゃないだろうか。今、やるべきことに適切な強度で集中して、結果的に上手くいくということ。いつも通りの実力を出すこと。平常心。思えばフライトテストも受ける前は恐かったが、やり始めたら当たり前だけど別に恐くはなかった。やるべきことをやっただけだ。

前述の動画は、この点に関して「結果エントリー」という言葉を使って説明している。あぁなりたいこうなりたいと「結果ありき」で物事に取り込む姿勢。具体的な目標設定は大切とよく言われるけど、実際のパフォーマンスを発揮するときにそれが仇になることがあるという。最初はん?と思ったけど、納得する部分も多かった。

来年以降の私のオフィスは、学生と自分の命をたった一人で守る、という仕事をする場所になる(はず)。上手さもそうですが、メンタルも重要です。

あとはったりも。笑

辻 秀一さん公式サイト



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2010パイロット訓練
2013インストラクター
2018エアライン

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