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2013.12.30 Monday
今年はやっと自分がプロパイロットの端くれになれた年だった。
数年前までは普通のサラリーマンだったことを考えると、「飛び職」としてお金を得ていることに自分でもびっくりしてしまう。しかも外国で、それも勢い余って南半球の島国に来てしまった。いったいどういうことだ。
本当は日本でパイロットになるつもりだった。そのためにニュージーランドでライセンスを取った後、資金をためるために日本に帰り、1年仕事をした。中堅自動車部品メーカーの食堂で窓の外の景色を見ていると、焦燥感といっしょに奇妙な安心感のようなものが湧き出てきて意外だった。毎日同じ電車に乗り、同じ机につき、同じ時間に食事をして、同じ時間に帰路につく。唯一の違いは、帰り道に本屋に寄るか直帰するかの違いぐらい。訓練を始める前の会社でも、中部地方の片田舎でそれは同じだった。そのとき、24時間きざみでやってくる同じ風景の反復は、苦痛でしかなかった。でも、今回は違う。なぜか意外に、心地よい。
会社からの眺め。
取り残されていくような焦燥感と表裏一体でついてくるこの安心感は、多分そのときできるベストのことをしているという実感があるからだと思った。この停滞が、物質が相転移するときのように次なる変化への必要条件を溜め込んでいるという実感。目的が究極に単純化されて、むしろ動きやすい。そうやって、頭のある部分のスイッチを半分OFFにして(仕事を半端にやっているというわけではない。頭の中の使う場所が違うというというだけ。)生活するのは、ある部分ではとても「楽」だった。
一方で、次につながると行っても、実際には立ち止まっていることには変わりない。精神をすり減らしている実感はあった。楽なのに疲れる仕事、そういう面倒くさい心のユラユラを、発散させないように細心の注意でマネージしながら金のために働くのは、確かに骨の折れる作業でもあった。そうして2012年が半分も過ぎたころに芽生えたのは、果たして、自分の時間、それは命といっていいだろう[1]、を切り売りして稼いだ金を、何に遣おうとしているのかということだった。
日本でパイロットになるには、海外で取った免許を書き換えるような措置を取って「日本の」免許を取らなければ行けないのだが、これに1000万円以上かかる。それはなぜか。書き換えに際し再訓練が必要で、その単価が高いからだ。私は、理解はしていた。訓練学校の見積もりだって精査して妥当だと思った。だから親に老後の資金の一部を借りて、親を連帯保証人にしてローンを組み、仮見積もりまで出した。その最中にふと思った。同じ国際標準に基づくシラバスで発行された免許でありながら、それを書き換えるのに1000万円。
バカじゃねぇのか。
断っておくが、その道に進んだ人たちのことでは断じてない。[2] 個人が身銭を切っておこなった努力の成果に、まるで関税をかけるようなその行政のやり方に、だ。
実際、もし私が日本でやっていたら、初期投資は大きくても、おそらくキャッシュフローはすぐに回復し、借金も数年で返せたと思う。後述するが、今の私の財布事情は実に寂しいものだ。そういう意味で、海外の訓練を終えた人たちはみんなそうやるべきだと思うし、だからこそ私も真剣に検討した。ニュージーランドでは、フライトタイムが最低1500時間以上(訓練終了時で230時間くらい)ないとエアラインに応募さえ出来ない。応募しても、最初はプロペラ機、ジェット機に行くにはおそらく10年くらいかかる。日本でやっていれば、1000万円と引き換えに、ジェット機の仕事に1、2年で手が届く。投資案件としてどっちが魅力か、明らかだ。でも、最後の最後まで消えなかったのは、
そんな、毎日書類にはんこ押しているだけの連中に、借金してまで1000万円貢ぐなんて冗談じゃない。
というクソみたいなプライドだった。当局の、1000万円貢ぎなさい、そうすればジェットジョブへの切符をあげようぞ、という厚顔無恥な(同時に魅力的な)オファーを蹴った。蹴ってこっちに来たときは「いいんだね、パイロットになれなくてもいいんだね」と日本の航空業界から言われているような気がして正直「やべぇ本当にこれでよかったのかな」とグラグラしていたが、なんだ、ちゃんとパイロットになれるじゃないか。
サラリーマン時代と比べても収入は激減、クリスマス前は3週間くらい休みなし。拘束時間は8時間以上で、払われる賃金は飛んだ分の1時間だけ。なんて日がザラでも、毎日ワクワクしながら単発レシプロ機に乗り込めるのは、金を積まなければパイロットにはなれないよと言われた退屈な現実に、小さく反逆できたためかもしれない。こんなオフィスで仕事ができるのは間違いなく幸せだ。短期的な投資判断としては大失敗かもしれないけれど。[3]
いろいろな人に支えられて、少しずつ力を借りてここまでやってきた。これからも同じようにやっていくと思う。自分も誰かの意思を支える力の一部になれるようなそういう人間になりたいと思っている。皆さま、よいお年を。
1. 労働でしか金銭を稼げないことの悲しさよ。
2. 彼らは、知恵と勇気となけなしのお金を持った真の勇者である。
3. 長期的な投資としては、全くもって良い投資をしたと思う。
数年前までは普通のサラリーマンだったことを考えると、「飛び職」としてお金を得ていることに自分でもびっくりしてしまう。しかも外国で、それも勢い余って南半球の島国に来てしまった。いったいどういうことだ。
本当は日本でパイロットになるつもりだった。そのためにニュージーランドでライセンスを取った後、資金をためるために日本に帰り、1年仕事をした。中堅自動車部品メーカーの食堂で窓の外の景色を見ていると、焦燥感といっしょに奇妙な安心感のようなものが湧き出てきて意外だった。毎日同じ電車に乗り、同じ机につき、同じ時間に食事をして、同じ時間に帰路につく。唯一の違いは、帰り道に本屋に寄るか直帰するかの違いぐらい。訓練を始める前の会社でも、中部地方の片田舎でそれは同じだった。そのとき、24時間きざみでやってくる同じ風景の反復は、苦痛でしかなかった。でも、今回は違う。なぜか意外に、心地よい。
会社からの眺め。
取り残されていくような焦燥感と表裏一体でついてくるこの安心感は、多分そのときできるベストのことをしているという実感があるからだと思った。この停滞が、物質が相転移するときのように次なる変化への必要条件を溜め込んでいるという実感。目的が究極に単純化されて、むしろ動きやすい。そうやって、頭のある部分のスイッチを半分OFFにして(仕事を半端にやっているというわけではない。頭の中の使う場所が違うというというだけ。)生活するのは、ある部分ではとても「楽」だった。
一方で、次につながると行っても、実際には立ち止まっていることには変わりない。精神をすり減らしている実感はあった。楽なのに疲れる仕事、そういう面倒くさい心のユラユラを、発散させないように細心の注意でマネージしながら金のために働くのは、確かに骨の折れる作業でもあった。そうして2012年が半分も過ぎたころに芽生えたのは、果たして、自分の時間、それは命といっていいだろう[1]、を切り売りして稼いだ金を、何に遣おうとしているのかということだった。
日本でパイロットになるには、海外で取った免許を書き換えるような措置を取って「日本の」免許を取らなければ行けないのだが、これに1000万円以上かかる。それはなぜか。書き換えに際し再訓練が必要で、その単価が高いからだ。私は、理解はしていた。訓練学校の見積もりだって精査して妥当だと思った。だから親に老後の資金の一部を借りて、親を連帯保証人にしてローンを組み、仮見積もりまで出した。その最中にふと思った。同じ国際標準に基づくシラバスで発行された免許でありながら、それを書き換えるのに1000万円。
バカじゃねぇのか。
断っておくが、その道に進んだ人たちのことでは断じてない。[2] 個人が身銭を切っておこなった努力の成果に、まるで関税をかけるようなその行政のやり方に、だ。
実際、もし私が日本でやっていたら、初期投資は大きくても、おそらくキャッシュフローはすぐに回復し、借金も数年で返せたと思う。後述するが、今の私の財布事情は実に寂しいものだ。そういう意味で、海外の訓練を終えた人たちはみんなそうやるべきだと思うし、だからこそ私も真剣に検討した。ニュージーランドでは、フライトタイムが最低1500時間以上(訓練終了時で230時間くらい)ないとエアラインに応募さえ出来ない。応募しても、最初はプロペラ機、ジェット機に行くにはおそらく10年くらいかかる。日本でやっていれば、1000万円と引き換えに、ジェット機の仕事に1、2年で手が届く。投資案件としてどっちが魅力か、明らかだ。でも、最後の最後まで消えなかったのは、
そんな、毎日書類にはんこ押しているだけの連中に、借金してまで1000万円貢ぐなんて冗談じゃない。
というクソみたいなプライドだった。当局の、1000万円貢ぎなさい、そうすればジェットジョブへの切符をあげようぞ、という厚顔無恥な(同時に魅力的な)オファーを蹴った。蹴ってこっちに来たときは「いいんだね、パイロットになれなくてもいいんだね」と日本の航空業界から言われているような気がして正直「やべぇ本当にこれでよかったのかな」とグラグラしていたが、なんだ、ちゃんとパイロットになれるじゃないか。
サラリーマン時代と比べても収入は激減、クリスマス前は3週間くらい休みなし。拘束時間は8時間以上で、払われる賃金は飛んだ分の1時間だけ。なんて日がザラでも、毎日ワクワクしながら単発レシプロ機に乗り込めるのは、金を積まなければパイロットにはなれないよと言われた退屈な現実に、小さく反逆できたためかもしれない。こんなオフィスで仕事ができるのは間違いなく幸せだ。短期的な投資判断としては大失敗かもしれないけれど。[3]
いろいろな人に支えられて、少しずつ力を借りてここまでやってきた。これからも同じようにやっていくと思う。自分も誰かの意思を支える力の一部になれるようなそういう人間になりたいと思っている。皆さま、よいお年を。
1. 労働でしか金銭を稼げないことの悲しさよ。
2. 彼らは、知恵と勇気となけなしのお金を持った真の勇者である。
3. 長期的な投資としては、全くもって良い投資をしたと思う。
2013.12.16 Monday
飛行機でいかにうまく飛ぶか、というテーマを追求するのはすごく楽しいのだけれど、学生に教えなければいけないのはそれだけではないよなとよく考える。
固定翼の操縦技量の根本的なところは、結局コントロール(ピッチ、バンク、パワー)を止めて、その結果がパフォーマンス(昇降率、旋回率、前進加速度)に出るということだけだと感じる。パフォーマンスを求めてコントロールをぐじゃぐじゃ動かしてはいけないということがわかっていれば、操縦の仕方が質的に間違った方向に行くことはない。あとは、その正しいやりかたでどんだけうまくやるかということだから、経験だ。
飛行機のライセンスを取るために訓練していた頃は、操縦がうまくいかないことがとても悔しかったのだけれど、「経験」によってしか得られない「うまさ」を200〜300時間の時に完成させようとしてはいけないよなと思った。もちろんうまいに越したことはないけど、限られた時間とお金を何に使うのか、よく吟味しなければならない。
いや、インスピレーションだな
あの豚のセリフで一番有名なのは、「飛ばねぇ豚はただの豚だ」というやつだと想像するが、私が膝を打ったのは「良いパイロットの第一条件を教えて。経験?」と聞かれた豚が「いや、インスピレーションだな。」というやつだ。私はこの「インスピレーション」を「想像力」というふうに日本語訳して理解している。パイロットにとって、想像力は本当に大事だ。
当事者意識とか責任感とかいろいろな言葉で置き換えられると思うけど、上空で自分の身に降り掛かってくるかもしれないことをどれだけ具体的に、危機感を持って、しかも継続的に「想像」できる能力があるか。教科書を読んで知っている、というだけでは意味がない。天気の知識でも、飛行機の知識でも、その知識をもとに高速で動き続ける飛行機を操縦しながら2秒、遅くても5秒くらいで最初のアクションがとれないようでは、それらはただの雑学だ。雑学とは素人に披露して自己満足をするための知識のことで、仕事では必要ない。でも、その使えるレベルの知識を身につけるのは言うほど簡単ではない。
そういった「使える知識」こそ、実務経験で再発見されるのでは、という考えもあるだろうし、それは事実だと思うのだけど、問題は飛行機の実務経験は最初から命がけということだ。経験によっていろいろな引き出しが増えていくことは確かなんだけど、増やしている最中に致命的な事故が起きてしまえばそこで全部終わりだ。だから、経験を積むにしたって飛ぶ前に、このフライトで自分の身に何が起こり得るだろうと想像することは必須条件で、経験の薄いうちにそういうことを想像することはとても難しい。想像するためのネタがないからだ。
ヒヤリハットとかよく言うけど、何かにヒヤリとさせられたということは、そのイベントは至近距離でのフックのように視界外から飛んできたということだ。だからこそびっくりしたのだ。そして、それはどんなに経験を重ねても一定の割合で必ず起こる。どんなに経験を重ねたって、ノーガードでフックを食らってしまったらそれで終わりなのだから。学生には巧いパンチではなく、まず牢堅なガードを教えなければ!
固定翼の操縦技量の根本的なところは、結局コントロール(ピッチ、バンク、パワー)を止めて、その結果がパフォーマンス(昇降率、旋回率、前進加速度)に出るということだけだと感じる。パフォーマンスを求めてコントロールをぐじゃぐじゃ動かしてはいけないということがわかっていれば、操縦の仕方が質的に間違った方向に行くことはない。あとは、その正しいやりかたでどんだけうまくやるかということだから、経験だ。
飛行機のライセンスを取るために訓練していた頃は、操縦がうまくいかないことがとても悔しかったのだけれど、「経験」によってしか得られない「うまさ」を200〜300時間の時に完成させようとしてはいけないよなと思った。もちろんうまいに越したことはないけど、限られた時間とお金を何に使うのか、よく吟味しなければならない。
いや、インスピレーションだな
あの豚のセリフで一番有名なのは、「飛ばねぇ豚はただの豚だ」というやつだと想像するが、私が膝を打ったのは「良いパイロットの第一条件を教えて。経験?」と聞かれた豚が「いや、インスピレーションだな。」というやつだ。私はこの「インスピレーション」を「想像力」というふうに日本語訳して理解している。パイロットにとって、想像力は本当に大事だ。
当事者意識とか責任感とかいろいろな言葉で置き換えられると思うけど、上空で自分の身に降り掛かってくるかもしれないことをどれだけ具体的に、危機感を持って、しかも継続的に「想像」できる能力があるか。教科書を読んで知っている、というだけでは意味がない。天気の知識でも、飛行機の知識でも、その知識をもとに高速で動き続ける飛行機を操縦しながら2秒、遅くても5秒くらいで最初のアクションがとれないようでは、それらはただの雑学だ。雑学とは素人に披露して自己満足をするための知識のことで、仕事では必要ない。でも、その使えるレベルの知識を身につけるのは言うほど簡単ではない。
そういった「使える知識」こそ、実務経験で再発見されるのでは、という考えもあるだろうし、それは事実だと思うのだけど、問題は飛行機の実務経験は最初から命がけということだ。経験によっていろいろな引き出しが増えていくことは確かなんだけど、増やしている最中に致命的な事故が起きてしまえばそこで全部終わりだ。だから、経験を積むにしたって飛ぶ前に、このフライトで自分の身に何が起こり得るだろうと想像することは必須条件で、経験の薄いうちにそういうことを想像することはとても難しい。想像するためのネタがないからだ。
ヒヤリハットとかよく言うけど、何かにヒヤリとさせられたということは、そのイベントは至近距離でのフックのように視界外から飛んできたということだ。だからこそびっくりしたのだ。そして、それはどんなに経験を重ねても一定の割合で必ず起こる。どんなに経験を重ねたって、ノーガードでフックを食らってしまったらそれで終わりなのだから。学生には巧いパンチではなく、まず牢堅なガードを教えなければ!
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