2014.04.29 Tuesday
お知らせ:noteという新しいブログサービスでも記事を書き始めました。よろしくお願いします。
今は、Private Pilot Licence(PPL)課程の学生を担当している。
小型機の教官という仕事は海外ではエアラインへの腰掛けであると見なされることが多い。それでも、仕事をとるのは非常に難しく、さらに雇われてからの月給はマックのバイトより安いという悲惨な状況。だからみんなさっさとエアラインに招待されないかなとそわそわしながら経験を貯めていくわけだ。私もこんなタイトルのブログを書いているので、大筋は同じわけだが、決定的に違うのはこの仕事を本当にチャレンジングだと感じていることだ。
仕事に何を求めるかは、人それぞれだ。待遇が良ければそれでいいと考える人もいるだろう。それを否定したりはしないし、私だって高待遇の方がいい。でもサラリーマンを4年間やったあとに全てを捨ててこんなキャリアチェンジを選んだ事実から推察するに、私は仕事に面白さを求める傾向がきっと強い。待遇を除外して考えたら、ジェット機に乗ってビュンビュンいろいろなところに行くことと、プロペラ機でプカプカ浮きながら素人をパイロットにすることは、どちらも甲乙つけがたいほど魅力的に感じる。
単純に承認欲求が強いだけかもしれない。誰かの期待を上回りたいとか、現状を改善したいとか、素人を一人前のパイロットに育てたいとか、そういう仕事のやりがいみたいなのがともすると自分への金銭的な報酬をもらうことの重要度を上回って現れることがある。そうでなければ、わざわざ母国でのジェットへの切符をかなぐり捨てて低賃金の単発機に乗りに南半球に来たりしない。私がやった行動を客観的に読解すれば、日本でジェット機に乗ることよりニュージーランドでレシプロ単発でこき使われる方を選んだということになる。自分でも不思議なくらいだ。19世紀の資本家からみたらこんなに使いやすい労働者もいないだろう。まぁ私が21世紀に生きているからこんな呑気なことをいえるのかもしれないが。
やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ
さて、PPLは民間のパイロットが一番最初に取る資格で、50時間以上の飛行経験が法律で求められている。うちの学校を卒業するときにだいたい230時間くらいだから1/5〜1/4を占める。そして、PPLは使う飛行機が最もシンプルなレシプロ単発なので、私のようなペーペーの教官が最初に担当するわけだが「飛行機にまったく乗ったことがない人を50時間でパイロットにする」というのは、実は結構大変で、油断するとすぐに時間をオーバーしてしまう。
私の学校はプライベートスクールなので、金さえ出してくれるならいくらでも飛んで教えてあげることが出来るのだが、実際にはお金が無尽蔵にあるわけもなく、*1 時間をあまりオーバーしないように工夫をしなければならない。とはいえ、ここでしっかりと基本的なことを教えて、見せて、ジャッジメントの経験を積ませないと、後のフェイズではそれを身につける機会があまりない。だから削りすぎてもいけない。そういう意味で教官泣かせで難しくかつやりがいのあるのフェイズと言える。
また、同時進行する訓練のスケジューリングや、飛行機が予約出来なかったとき、天気が悪かったときに何をするのか、いざ飛んだら何を教えるのか、様々な問題を自分自身で管理、解決しなければならない。私はエンジニアだったので、目の前の事象(例えばPPL学生を一人仕上げた、とか)をサンプルデータとして保存しておいて、どこをどう改善すればいいか考え、次で改善案を試す、みたいなしち面倒くせぇ作業が得意だ。「パイロット気質のパイロット」には土台無理な芸当だろう。一見こういった金にならない地上の仕事を引き受けることそのものが訓練の全体を俯瞰する視点を持つ訓練になり、人を教えるということに対して自分なりの発見があったりする。
別にパイロットに限ったことじゃない。どんな仕事でも同じだろう。実際にアウトプットをするのは担当者ひとりひとりであり、その人の価値観と自律心がもろに影響する。エアラインに行ったってきっとこれは変わらないのだろう。エアラインの面接では、こういったことを話して「トレーニングキャプテンになりたいです」と言うつもりだ。それで彼らが欲しいと思ってくれるかは知らんが。
1. 実際にぼったくる悪徳業者はある。特に、教官の給料がフライトタイムに連動している場合は教官にタイムを引き延ばす動機ができてしまう。私がインストラクターのコースを受けているときの担当教官は「時間-給料 連動タイプ」の教官だったので、訓練プランは自分で立てていた。さぞ、やりづらかったことだろう。とはいえ、一定の限度を超えなければ、その経験を血肉にできるかどうかは学生次第なのでまったく無駄とはいわないが。。。
今は、Private Pilot Licence(PPL)課程の学生を担当している。
小型機の教官という仕事は海外ではエアラインへの腰掛けであると見なされることが多い。それでも、仕事をとるのは非常に難しく、さらに雇われてからの月給はマックのバイトより安いという悲惨な状況。だからみんなさっさとエアラインに招待されないかなとそわそわしながら経験を貯めていくわけだ。私もこんなタイトルのブログを書いているので、大筋は同じわけだが、決定的に違うのはこの仕事を本当にチャレンジングだと感じていることだ。
仕事に何を求めるかは、人それぞれだ。待遇が良ければそれでいいと考える人もいるだろう。それを否定したりはしないし、私だって高待遇の方がいい。でもサラリーマンを4年間やったあとに全てを捨ててこんなキャリアチェンジを選んだ事実から推察するに、私は仕事に面白さを求める傾向がきっと強い。待遇を除外して考えたら、ジェット機に乗ってビュンビュンいろいろなところに行くことと、プロペラ機でプカプカ浮きながら素人をパイロットにすることは、どちらも甲乙つけがたいほど魅力的に感じる。
単純に承認欲求が強いだけかもしれない。誰かの期待を上回りたいとか、現状を改善したいとか、素人を一人前のパイロットに育てたいとか、そういう仕事のやりがいみたいなのがともすると自分への金銭的な報酬をもらうことの重要度を上回って現れることがある。そうでなければ、わざわざ母国でのジェットへの切符をかなぐり捨てて低賃金の単発機に乗りに南半球に来たりしない。私がやった行動を客観的に読解すれば、日本でジェット機に乗ることよりニュージーランドでレシプロ単発でこき使われる方を選んだということになる。自分でも不思議なくらいだ。19世紀の資本家からみたらこんなに使いやすい労働者もいないだろう。まぁ私が21世紀に生きているからこんな呑気なことをいえるのかもしれないが。
やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ
さて、PPLは民間のパイロットが一番最初に取る資格で、50時間以上の飛行経験が法律で求められている。うちの学校を卒業するときにだいたい230時間くらいだから1/5〜1/4を占める。そして、PPLは使う飛行機が最もシンプルなレシプロ単発なので、私のようなペーペーの教官が最初に担当するわけだが「飛行機にまったく乗ったことがない人を50時間でパイロットにする」というのは、実は結構大変で、油断するとすぐに時間をオーバーしてしまう。
私の学校はプライベートスクールなので、金さえ出してくれるならいくらでも飛んで教えてあげることが出来るのだが、実際にはお金が無尽蔵にあるわけもなく、*1 時間をあまりオーバーしないように工夫をしなければならない。とはいえ、ここでしっかりと基本的なことを教えて、見せて、ジャッジメントの経験を積ませないと、後のフェイズではそれを身につける機会があまりない。だから削りすぎてもいけない。そういう意味で教官泣かせで難しくかつやりがいのあるのフェイズと言える。
また、同時進行する訓練のスケジューリングや、飛行機が予約出来なかったとき、天気が悪かったときに何をするのか、いざ飛んだら何を教えるのか、様々な問題を自分自身で管理、解決しなければならない。私はエンジニアだったので、目の前の事象(例えばPPL学生を一人仕上げた、とか)をサンプルデータとして保存しておいて、どこをどう改善すればいいか考え、次で改善案を試す、みたいなしち面倒くせぇ作業が得意だ。「パイロット気質のパイロット」には土台無理な芸当だろう。一見こういった金にならない地上の仕事を引き受けることそのものが訓練の全体を俯瞰する視点を持つ訓練になり、人を教えるということに対して自分なりの発見があったりする。
別にパイロットに限ったことじゃない。どんな仕事でも同じだろう。実際にアウトプットをするのは担当者ひとりひとりであり、その人の価値観と自律心がもろに影響する。エアラインに行ったってきっとこれは変わらないのだろう。エアラインの面接では、こういったことを話して「トレーニングキャプテンになりたいです」と言うつもりだ。それで彼らが欲しいと思ってくれるかは知らんが。
1. 実際にぼったくる悪徳業者はある。特に、教官の給料がフライトタイムに連動している場合は教官にタイムを引き延ばす動機ができてしまう。私がインストラクターのコースを受けているときの担当教官は「時間-給料 連動タイプ」の教官だったので、訓練プランは自分で立てていた。さぞ、やりづらかったことだろう。とはいえ、一定の限度を超えなければ、その経験を血肉にできるかどうかは学生次第なのでまったく無駄とはいわないが。。。
2014.04.11 Friday
筆が進まない。
ブログの記事にして表現したいことがないわけではない。断片としていろいろあるのだが、その「編集」に使う頭が最近は残っていない。
昼間忙しいというのもある。最近は学校のHPやFacebook Pageをリファインして[1]ネット上での学校の露出を増やし、それがじわじわ聞いてきたのか問い合わせも学生も増えている。とてもいいことなのだが、現地の教官と違って日本人の教官はこれらの営業活動も引き受けているため地上でやる仕事が多い。
また、日本人の学生にはもともと地上でのブリーフィングをしっかりと提供して、言葉のハンデや飛行前の準備をがっちりとやった上で飛ぶというコンセプトがあるため、ただ飛びゃあいいってもんではない。ホームページからの問い合わせを全ての日本人インストラクターに転送して手が空いた人が返信できるようにしたり、今までは郵送していた学校のパンフレットをドロップボックスに置いて問い合わせがきたらリンクに誘導してPDFにして渡したりと、出来るだけ省力化できるよう工夫を施したが、やっぱり時間はかかる。その上にフライトだ。ぼーっとした頭で飛ぶのは危険なので、ちゃんと意識を区切らなければならない。最近は慣れてきたけど、最初はこれが大変だった。
また、学生も人生を賭けてやってきているので、彼らと向き合っていると適当にアイドリングする暇はない。天気の都合で飛べなければスケジュールは遅れ、学生にはストレスが貯まっていく。遅れを取り戻すために土日も飛ぶ。月〜金の通常の稼働日は、晴れていたら当然出勤する、雨でもミニマをクリアしていればとりあえず出る。土日も飛ぶ、となると、休みは朝起きたときにVFR MET MINIMAを下回っていたときだけという、工事現場の日雇いのような状況になっている。基本的に、前々から分かっている休みはない。自分で土日にフライトを入れなければいいのだが、キャリアのためにはフライト時間も欲しいし、なにしろ日本人は仕事の虫なのだ。
家に帰ると、自分が非常に疲弊しているのがわかる。そんな頭で今日起こったことの編集作業なんかできない。本当は編集が出来た方がその次の仕事のプランニングにつながって楽になるのだろうが、夜遅くやることはできない。寝不足で飛行機に乗ることは、車の飲酒運転と同様に危険なのだ。
一方で、こんな考え方もある。
「時間がない」とこぼす人間には、往々にしてだらだらと過ごしているスキマ時間が存在することが多い。私の場合も、よーくよくよくよくよくよく考えてみると、ぼーっとしていることがなきにしもあらずだ。もっと個室に閉じこもって作業時間を確保すれば、生産性を上げることはできるかもしれない。そうすることがいいか悪いかは別として、その気になれば、ブログを書くための1時間くらいは作り出せそうだ。でもなんで書かないのか。
このブログはただの人がパイロットになろうとしたらどうなるのかという一次情報を残しておきたくて書いていた。そして、私は今プロの(小さい飛行機の)パイロットになった。そうしたら、とたんに書くこと、もっと正確に言えば日々浮上してくる断片情報の編集が、難しくなった。学生だったときは、自分がいかに下手かを書いて、それをどう克服したとか、いろいろ大変だけどがんばってパイロットになるんだ!ということを書いていれば良かったのだが、いざ職業がパイロットになってしまうと、そこには当然利害関係が発生する。自由気ままに書いて、それがお客さんである学生のモチベーションを落とすような事態はあってはならない。
もしかしたら、このブログはある意味で役目を終えたのかもしれない。表現することはやめたくないが、少しやり方を変える必要があるかもなー。
1. 最近はもっぱらFacebookの更新ばかりになっていた。写真が簡単に載せられるのでやりやすいのだ。今後もこの流れは続くだろう。こちらの近況が知りたい方は、ぜひ当校のFaceBookも見てみてください。
ブログの記事にして表現したいことがないわけではない。断片としていろいろあるのだが、その「編集」に使う頭が最近は残っていない。
昼間忙しいというのもある。最近は学校のHPやFacebook Pageをリファインして[1]ネット上での学校の露出を増やし、それがじわじわ聞いてきたのか問い合わせも学生も増えている。とてもいいことなのだが、現地の教官と違って日本人の教官はこれらの営業活動も引き受けているため地上でやる仕事が多い。
また、日本人の学生にはもともと地上でのブリーフィングをしっかりと提供して、言葉のハンデや飛行前の準備をがっちりとやった上で飛ぶというコンセプトがあるため、ただ飛びゃあいいってもんではない。ホームページからの問い合わせを全ての日本人インストラクターに転送して手が空いた人が返信できるようにしたり、今までは郵送していた学校のパンフレットをドロップボックスに置いて問い合わせがきたらリンクに誘導してPDFにして渡したりと、出来るだけ省力化できるよう工夫を施したが、やっぱり時間はかかる。その上にフライトだ。ぼーっとした頭で飛ぶのは危険なので、ちゃんと意識を区切らなければならない。最近は慣れてきたけど、最初はこれが大変だった。
また、学生も人生を賭けてやってきているので、彼らと向き合っていると適当にアイドリングする暇はない。天気の都合で飛べなければスケジュールは遅れ、学生にはストレスが貯まっていく。遅れを取り戻すために土日も飛ぶ。月〜金の通常の稼働日は、晴れていたら当然出勤する、雨でもミニマをクリアしていればとりあえず出る。土日も飛ぶ、となると、休みは朝起きたときにVFR MET MINIMAを下回っていたときだけという、工事現場の日雇いのような状況になっている。基本的に、前々から分かっている休みはない。自分で土日にフライトを入れなければいいのだが、キャリアのためにはフライト時間も欲しいし、なにしろ日本人は仕事の虫なのだ。
家に帰ると、自分が非常に疲弊しているのがわかる。そんな頭で今日起こったことの編集作業なんかできない。本当は編集が出来た方がその次の仕事のプランニングにつながって楽になるのだろうが、夜遅くやることはできない。寝不足で飛行機に乗ることは、車の飲酒運転と同様に危険なのだ。
一方で、こんな考え方もある。
「時間がない」とこぼす人間には、往々にしてだらだらと過ごしているスキマ時間が存在することが多い。私の場合も、よーくよくよくよくよくよく考えてみると、ぼーっとしていることがなきにしもあらずだ。もっと個室に閉じこもって作業時間を確保すれば、生産性を上げることはできるかもしれない。そうすることがいいか悪いかは別として、その気になれば、ブログを書くための1時間くらいは作り出せそうだ。でもなんで書かないのか。
このブログはただの人がパイロットになろうとしたらどうなるのかという一次情報を残しておきたくて書いていた。そして、私は今プロの(小さい飛行機の)パイロットになった。そうしたら、とたんに書くこと、もっと正確に言えば日々浮上してくる断片情報の編集が、難しくなった。学生だったときは、自分がいかに下手かを書いて、それをどう克服したとか、いろいろ大変だけどがんばってパイロットになるんだ!ということを書いていれば良かったのだが、いざ職業がパイロットになってしまうと、そこには当然利害関係が発生する。自由気ままに書いて、それがお客さんである学生のモチベーションを落とすような事態はあってはならない。
もしかしたら、このブログはある意味で役目を終えたのかもしれない。表現することはやめたくないが、少しやり方を変える必要があるかもなー。
1. 最近はもっぱらFacebookの更新ばかりになっていた。写真が簡単に載せられるのでやりやすいのだ。今後もこの流れは続くだろう。こちらの近況が知りたい方は、ぜひ当校のFaceBookも見てみてください。
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