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2014.08.17 Sunday
インストラクターとして雇われてほぼ一年が経った。へたくそだった私が、連日いっちょ前に学生の前で講釈をたれているとは。なんとも隔世の感である。
この一年やってきてまぁいろいろあったが、一貫してもっと良い教え方はないか、ということを研究してきた。教育に関して体系的に学んでいない私は、「先生」としては素人だ。インストラクターコースをやってなんとかハリボテの外殻をまとってはいたが、そんなのただのはったりに過ぎない。実務を経験してうまくなっていくしかないわけだが、自分なりにどうしたらうまくいくのか、そもそもこの場合、「うまくいく」とはどういうことを言うのかということを学生を教えながら自分も考えてきた。最初のほうの学生には少し迷惑をかけたかもしれない。でも、私がいいインストラクターになろうとコミットし続けることが、彼らへの礼儀だと思っている。
ピピッときたこれ
そうやって難しい顔をして考えていると、自然と頭にアンテナが張られてくる。本とか漫画とかインターネットの記事とか動画とか映画をみていても、常にそのことと関連づけが行われているようにおもう。その中で、最近最も感銘を受けた情報がこれだ。
ダンサーのパパイヤ鈴木さんがほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里さんの思いつきから依頼を受けてダンスのレッスンをつけるという話。
詳しくはリンク先を見てもらうとして、私が注目したのはダンスの素人に一つ一つ振り付けを教えていくパパイヤ氏(鈴木氏と書くべきか。。。)の職人芸だ。とりあえず、Youtubeにある動画を下に置いておく。
運動神経にひとつずつ。
企画の趣旨は、「とりあえずターンができるようになりたい」だ。動画はそのはじめの一歩なわけだが、生徒は「ほぼ日」の社員であり、ほぼ全員素人だろう。「これが出来るようになりたい」という具体的な目的を持った素人に、短期間でそれを習得させるインストラクターという構図に、飛行機に触れたこともないような「素人」の学生を最初に受け持つ自家用操縦士課程のインストラクターとしては興味を禁じ得ないわけだ。どうやって教えるんだろうか、と。
動画は何本かに分かれていて、最終的には全員が軽いダンスを踊れるまでになる。その過程は見事だ。
まず、パパイヤ「師」はターンをする準備段階のポーズの、その作り方を教える。体をひねり、重心を偏らせ、膝を落とし、腕を前と横に上げる。これを、ひとつひとつやる。体をひねる、という最初の動きも、いろいろな言葉を使って説明している。「ねじるというより、右肩を引く感じです。」とかそういうことだ。インストラクターの意図を正確に学生に内在化させるように、工夫している。
そして、ここから変化点を一つだけ加えながら、ゆっくりと、しかし確実に学生の運動神経に動きを刷り込んでいく。うまく行かないところでは、その一つ前に戻ったり、「回るというより、前に進むように意識します」とか「やっぱやめた」とか「蹴って前」とか、学生の脳みその運動を司る神経細胞のつながりを直接組み直すような絶妙なボキャブラリーとリズムで進んでいく。当たり前だが、ダンスなので擬態語も多い。
擬態語は私も多用している。「クルッ、ピタッ、スー」とか「ズズズィーで止めて、ブィーってなったらスッと戻す」とか「ビシッと撃って、スパーンと逃げろ」[1]とか。学生の頃は、根拠根拠って数字ばかり追っていたけど、その理屈を飛行機の動きとして具現化するのは最終的にはパイロットの手であり脚である。オートパイロット付いていない飛行機では。だから、運動神経への刷り込みは絶対に必要で、その点擬態語は非常に適している。だから多用している訳だが、それだけじゃだめなんですね。(当たり前だ)
減点され続けると、動けなくなる
もうひとつ良い記事があった。この記事の「減点されると動けなくなる」というくだり。長いけど、以下引用。
学生と飛んでいると、どうしてもできないところを指摘しがちなんだけど、やっぱ「できているところ」を指摘しなきゃいかん。これがダメ、あれがダメってダメ出しだけしていると、その学生はいずれ動けなくなる。それでいて学生に「自発的になれ」なんておかしな話だ。間違えたら黙り、出来たらほめる。そうやって「これでいいんだ」って方向性を与えることで「自発的に」正解にたどり着かせたい。でも実は、教える側に取ってはこっちの方が難しい。出来ないところを指摘する方がよほど簡単だ。ほめるだけでは出来ないところに気づかせられない。
そういう職人芸はまだできない。
1. 擬態語の話、「ビシッと撃って、スパーンと逃げろ」はもちろん嘘。鳴海章のナイトダンサーか、原子力空母信濃かなんかで出てきたエピソードだった気がする。戦闘機乗りの後輩へのアドバイスが擬態語ばかりみたいな。
この一年やってきてまぁいろいろあったが、一貫してもっと良い教え方はないか、ということを研究してきた。教育に関して体系的に学んでいない私は、「先生」としては素人だ。インストラクターコースをやってなんとかハリボテの外殻をまとってはいたが、そんなのただのはったりに過ぎない。実務を経験してうまくなっていくしかないわけだが、自分なりにどうしたらうまくいくのか、そもそもこの場合、「うまくいく」とはどういうことを言うのかということを学生を教えながら自分も考えてきた。最初のほうの学生には少し迷惑をかけたかもしれない。でも、私がいいインストラクターになろうとコミットし続けることが、彼らへの礼儀だと思っている。
ピピッときたこれ
そうやって難しい顔をして考えていると、自然と頭にアンテナが張られてくる。本とか漫画とかインターネットの記事とか動画とか映画をみていても、常にそのことと関連づけが行われているようにおもう。その中で、最近最も感銘を受けた情報がこれだ。
ダンサーのパパイヤ鈴木さんがほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里さんの思いつきから依頼を受けてダンスのレッスンをつけるという話。
詳しくはリンク先を見てもらうとして、私が注目したのはダンスの素人に一つ一つ振り付けを教えていくパパイヤ氏(鈴木氏と書くべきか。。。)の職人芸だ。とりあえず、Youtubeにある動画を下に置いておく。
運動神経にひとつずつ。
企画の趣旨は、「とりあえずターンができるようになりたい」だ。動画はそのはじめの一歩なわけだが、生徒は「ほぼ日」の社員であり、ほぼ全員素人だろう。「これが出来るようになりたい」という具体的な目的を持った素人に、短期間でそれを習得させるインストラクターという構図に、飛行機に触れたこともないような「素人」の学生を最初に受け持つ自家用操縦士課程のインストラクターとしては興味を禁じ得ないわけだ。どうやって教えるんだろうか、と。
動画は何本かに分かれていて、最終的には全員が軽いダンスを踊れるまでになる。その過程は見事だ。
まず、パパイヤ「師」はターンをする準備段階のポーズの、その作り方を教える。体をひねり、重心を偏らせ、膝を落とし、腕を前と横に上げる。これを、ひとつひとつやる。体をひねる、という最初の動きも、いろいろな言葉を使って説明している。「ねじるというより、右肩を引く感じです。」とかそういうことだ。インストラクターの意図を正確に学生に内在化させるように、工夫している。
そして、ここから変化点を一つだけ加えながら、ゆっくりと、しかし確実に学生の運動神経に動きを刷り込んでいく。うまく行かないところでは、その一つ前に戻ったり、「回るというより、前に進むように意識します」とか「やっぱやめた」とか「蹴って前」とか、学生の脳みその運動を司る神経細胞のつながりを直接組み直すような絶妙なボキャブラリーとリズムで進んでいく。当たり前だが、ダンスなので擬態語も多い。
擬態語は私も多用している。「クルッ、ピタッ、スー」とか「ズズズィーで止めて、ブィーってなったらスッと戻す」とか「ビシッと撃って、スパーンと逃げろ」[1]とか。学生の頃は、根拠根拠って数字ばかり追っていたけど、その理屈を飛行機の動きとして具現化するのは最終的にはパイロットの手であり脚である。オートパイロット付いていない飛行機では。だから、運動神経への刷り込みは絶対に必要で、その点擬態語は非常に適している。だから多用している訳だが、それだけじゃだめなんですね。(当たり前だ)
減点され続けると、動けなくなる
もうひとつ良い記事があった。この記事の「減点されると動けなくなる」というくだり。長いけど、以下引用。
小学校の時に、あるゲームをやりました。クラスの中で"鬼"をひとり決めます。そしてその鬼は廊下に出て、残ったメンバーがあるミッションを決めます。鬼にやらせるミッションです。「黒板消しを手に取る」「先生と握手する」など、何でも構いません。鬼がそのミッションを当て、その行動をできるかどうか、というゲームです。
黙っていては、鬼はそのミッションを当てようがないので、残りのメンバーがヒントを出します。ヒントを基に、鬼はそのミッションを当てていきます。
ただ、このヒントの出し方には2種類あり、その出し方によって、結果が必ず180度変わるのです。ぼくはこのゲームを何度もやりましたが、必ず「180度」変わります。
そのヒントの出し方をAパターン、Bパターンとしましょう。
Aパターンでは、鬼がミッションに近い行動をするたびに、周りが拍手をして称えます。「黒板消しを手に取る」がミッションの場合、黒板の方向に一歩進むだけで拍手、もう一歩進むとさらに拍手、黒板の横に来ると大きな拍手。
一方のBパターンでも、鬼を正解に誘導します。ただし、今度は間違った行動をした時に、ブーイングを出します。鬼が黒板から離れたら「ブー!」、鬼が黒板と反対を向いたら「ブー!」、鬼が間違えてチョークを手にしたら「ブー! ブー!」。
どちらも、鬼がミッションを遂行できるように、周りが手伝っています。ですが、この2つは毎回、真逆の結果を生みました。
Aパターンでは、鬼が間違った行動をしても何もしません。黒板の方向に進めば拍手ですが、遠ざかっても何もしません。黒板消しを手に取ればゴールですが、チョークを手にとっても何もしません。そのため、鬼はいろいろと自分で試行錯誤ができます。そして、ほどなく正解にたどり着くことができます。
しかし、Bパターンでは、鬼が間違えるたびにブーイングが発せられます。ただ、ミッションの内容を知らないので、基本的に鬼は間違えます。そうすると、何かをするたびにブーイングが発せられるということになります。鬼は教室の真ん中で、何をしていいのかわかりません。試しに、窓の方を見てみます。「ブー!」。試しに自分の顔を触ってみます。「ブー!」。
これが続くとどうなるか? まず間違いなく、鬼は動けなくなってしまうのです。Aパターンでは、まず例外なくミッションが遂行できるにもかかわらず、Bパターンでは、かなりの確率で棒立ちになり、動けなくなります。
両方とも、鬼がミッションを遂行できるように周りが「サポート」しています。しかし、結果は異なります。
Aパターンは、いいことができたら拍手という「加点思考」です。その行動自体ではゴールに至らない不十分なものでも、ゴールに近づいたということで、拍手です。
Bパターンは、相手の間違った行動に×をつける「減点思考」です。減点思考で、指示をした結果、相手は棒立ちになってしまい、まったく身動きが取れなくなってしまうのです。
たしかに、ミッションから離れる行動やミッションと無関係な行動をしても、最終的には意味がないでしょう。しかしだからと言って、間違っているという事実だけを突きつけるとどうなるか、ぼくらは身を持って学んだのです。
学生と飛んでいると、どうしてもできないところを指摘しがちなんだけど、やっぱ「できているところ」を指摘しなきゃいかん。これがダメ、あれがダメってダメ出しだけしていると、その学生はいずれ動けなくなる。それでいて学生に「自発的になれ」なんておかしな話だ。間違えたら黙り、出来たらほめる。そうやって「これでいいんだ」って方向性を与えることで「自発的に」正解にたどり着かせたい。でも実は、教える側に取ってはこっちの方が難しい。出来ないところを指摘する方がよほど簡単だ。ほめるだけでは出来ないところに気づかせられない。
そういう職人芸はまだできない。
1. 擬態語の話、「ビシッと撃って、スパーンと逃げろ」はもちろん嘘。鳴海章のナイトダンサーか、原子力空母信濃かなんかで出てきたエピソードだった気がする。戦闘機乗りの後輩へのアドバイスが擬態語ばかりみたいな。
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